Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

妥当なような、そうでもないような女性装の解放者『トッツィー』1/15 S 感想

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大爆笑とかぶっ刺さるみたいな感じではなかったけれど「良作だ〜」って思える作品・公演でした。キャスティングも適材適所!!

作品・公演概要

Tootsie
原作: 1982年公開の映画 "Tootsie"(『トッツィー』)
音楽・歌詞: David Yazbek(デヴィッド・ヤズベック)
脚本: Robert Horn(ロバート・ホーン)
初演: 2018年 シカゴ
    2019年 BW

Tootsie (Original Broadway Cast Recording)

Tootsie (Original Broadway Cast Recording)

  • Various Artists
  • ミュージカル
  • ¥1935

 

ミュージカル『トッツィー
劇場: 日生劇場
演出: Scott Ellis(スコット・エリス)
翻訳: 徐賀世子
訳詞: 高橋亜子

BW公演のトレーラーとトニー賞でのUnstoppableのパフォーマンスを見た感じ、日本公演はセミ・レプリカ版(ちょっと簡略版?)のようでした。

 

キャスト

マイケル・ドーシー/ドロシー・マイケルズ: 山崎育三郎
ジュリー・ニコルズ: 愛希れいか
サンディ・レスター: 昆夏美
ジェフ・スレーター: 金井勇太
マックス・ヴァン・ホーン: おばたのお兄さん
ロン・カーライル: エハラマサヒロ
スタン・フィールズ: 羽場裕一
リタ・マーシャル: キムラ緑子

+アンサンブル 14名
+スウィング 2名

 

作品感想

ジェンダーが作品のテーマになっている中、東宝が「女優、山崎育三郎⁉︎」みたいなキャッチコピーを付けていたりもしたのでやや不安ではあったのですが、公演自体はセミ・レプリカということもあってかしっかりしていて楽しかったです。

今作は「ドレス姿の男性を笑う作品だ」と批判されることもあるようなのですが、私が見た感じ「ドレス姿の男性を笑う」構造にはなっていなかったと思います。むしろ観客が笑うのはドロシー/マイケルのウィットに富んだ切り返しや正体を隠そうとしてバタバタする部分で「ドレス姿の男性を笑う」流れにはさせまいという意識も感じました。

 

社会問題の描き方

今作には色々な社会問題へのアプローチが散りばめられています。それらが互いに関係していたりもするので頭がこんがらがったりもしましたが、大きくまとめるとこの4点がテーマだったのかなと考えています。

・女性に課せられるジェンダーへの抵抗

・有害な男性性への抵抗

・中年女性の解放

・演出家に対する俳優の権利向上への動き

マイケルの「女性装」の出発点はなんとしても役を掴むという俳優魂でしかないのだけれど、彼はドロシーとして過ごす中でそれまでは気にしてこなかった「女性の受ける苦しみ」に気が付きます。男性に異を唱えれば「ヒステリーだ」「これだから女は」と言われるから謙虚に振る舞うよう求められるし、勘違いした男性から一方的に迫られたときにもなんとか相手の気を害さないようにあしらわなければならない(ジュリーに迫る演出家のロンだけでなく、マイケルが自分自身も迷惑な男性であるとしたところが良かったです)、こうした女性が受ける苦しみの一部をドロシーになったマイケルが体験することで露にし、またドロシーとドロシーに悩みを打ち明けることで救われたジュリーを中心に、トキシックマスキュリニティ全開の演出家が暴走した結果よくわからない世界観になっていた『ロミオとジュリエット』の二次創作劇をジュリエットの乳母の恋に焦点を当てた劇へと変化させることで、有害な男性への抵抗と演出家に対する俳優の権利向上、中年女性の解放といったテーマを描きます。

 

マイケルの当事者性と解放者としての妥当性は?

これらの起点にマイケルという仕事も金もなく権力勾配的には弱者である中年男性の「女性装」があるのは、妥当な気もするし、そうでもないような気もしています。そこには「当事者性」の問題があるかもしれません。

マイケルには同居人のジェフとの場面が多いこともあってかトキシックマスキュリニティを発する場面はあまりありません。作品冒頭のマイケルは演技に対する強すぎるこだわりと自らを受け入れない業界への当たりの強さで皆に疎まれていますが、これはマイケルの性格上の問題と業界の風潮との相性の悪さに起因しています。マイケルは有害な男性性を発する側としてもそれにより苦しめられる側としても描かれていないので、このテーマについてマイケルの当事者性はやや弱いです。ただ、マイケル自身が認めるようにバーでのジュリーに対する一方的なアプローチは迷惑な類なので、そういったことも含めれば彼にも有害性があると言えるかもしれません。

マイケルは俳優なので、その権利向上については関係が深いです。ただ前述のようにマイケルが演出家に疎まれる理由には性格上の問題も大きく関与しているので、権力勾配に苦しめられている印象は弱いです。

女性に課せられるジェンダーと中年女性の心情の透明化の問題は、ドロシーとしてのマイケルに降りかかりますがマイケルがこれまでの人生では実感してこなかった問題です。女性としては共に抗ってくれる存在がいることは嬉しいですが「当事者性」は彼にはないと言えるでしょう。

こうして見てみると、4つのテーマはマイケルには「当事者性」が弱いものです。ただドロシーになると「当事者性」が出てくるテーマもあるので、マイケルが「女性装」をして問題の改善に臨むというのは妥当に思えます。

ただ、今作にはドロシーよりも4つのテーマにより強く「当事者性」を持つジュリーがいます。ジュリーは主体性を持った女性ですし、劇中劇の改編にも積極的に参加していきますが今作で直接的な物言いをするのは基本的にはドロシーです。またマイケル/ドロシーの嘘が露になることで、心を許した友を失い、恋をしていた相手を失い、出演中の舞台(キャリアや夢に直結している)も失い、結局ジュリーが最も傷つきます。「当事者性」の弱いマイケルがドロシーとして「当事者性」を帯びることで解放者として問題に挑む嬉しさはありつつ、より「当事者性」の強いジュリーが解放者として全面的に描かれず、またマイケル/ドロシーの嘘によって傷つけられるという構図になっているところがなんとも煮え切らない気持ちになる原因なんだと思います。

ジュリーが最後の場面でマイケルに対して「あなたは何もわかっていない。ヒールで1マイル歩いたからって何がわかるって言うんだ。100マイル歩きなさい。1000マイル歩きなさい。」と言うのでやや溜飲が下がる感じはあります。でもジュリーが「(『演じる』という)ただ1つのことのためにやったのよね」と言ってマイケルの気持ちに寄りそう終わり方は「理解」できても「白人男性に甘いよ」とも思ってしまいますね。『キンキーブーツ』についても私は脚本が白人男性に甘いと思っているんですけど、問題の本質への理解度という意味ではチャーリーよりはマイケルの方がしっかりしている感じはありました。

 

男性が女性キャラクターを演じるということ

マイケルが「女性装」で乳母役のオーディションを受けて役を得たと知ったジェフがマイケルの行動を「全ての女性への侮辱だ」と言い、「役を女性から奪った」とかなり強い言葉を使って同居人を責めていたのが印象的でした。私自身、多分やや過激なフェニミストなのですが、ジェフの言葉の強さにはやや驚きました。

そして『ヘアスプレー』のエドナを思い出しました。2007年の映画版しか見ていないけれど、身体が大きいことを気にして家から出たがらないエドナを娘のトレイシーが外に連れ出してく場面があって物語はプラスサイズ女性へのエンパワメントになっているのに、どうしてエドナは常に男性によって演じられるのだろうかという疑問があります。

トッツィー』の改編後の劇中劇は中年女性へのエンパワメントになるので女性に演じてほしいという思いがあるものの、正直、改編前の劇中劇は脈略がないので乳母を演じるのが女性でも男性でも構わないなと思っていました。でもやっぱり女性に対する男性の社会的な優位があり続ける以上、女性キャラクターは女性が演じるべきだと言っていくべきなのかもなとも思ったり。この問題はこれからも考えていくテーマになりそうです。

 

好きだった場面

ジュリーがドロシーに迫る場面

ドロシー姿のマイケルが突然ジュリーにキスをしてしまい、ジュリーが「え?」と呟いて走り去り、マイケルが「クソ」と呟いて幕間に。第1幕ではジュリーが過去に男性と交際していたという話が出てきていて、かつ第2幕ではジュリーとドロシーが接触するシーンが序盤にはないので「どうなるんだろう?」と気にしていると、ジュリーがドロシーへの信頼と愛は恋愛感情になり得ると判断して2人の関係を恋愛関係として進めようとする展開になりまして、ジュリーのかっこよさにやられました。この場面までもジュリーというキャラクターにはとても惹かれていたのだけれど、ここで完全に大好きになりました。

マイケルはジュリーが好き、ジュリーはドロシーが好きというすれ違い方は面白いし、
ド「私はレズビアンにはなれない」
ジ「私だって違うけど」
ド「あなたはなろうと思えばなれる」
ジ「あなただって」
っていうやり取りとか、ジュリーの「怖いのはわかるの。まずは上半身からいきましょう」っていう台詞とかとにかく切れ味がすごくて面白かったです。

 

マックスの "Maria" パロ

今作には劇中に様々なミュージカルパロディが盛り込まれていてそれも楽しかったです。その中でも特に好きだったのが、マックスがドロシーの家の下で「ドロシー!ドロシー!」とでかい声で歌う場面。『ウエスト・サイド・ストーリー』の "Maria" パロ!!ってテンションを上げていると近隣住人から「うるせええ」と怒鳴られる展開になっていて笑いました。確かにトニーも夜中にあんなでかい声で歌っていたら怒られますよね笑笑笑

「明日はリハーサルだ」と話すマイケルが "Tomorrow" を小声で口ずさんで、ジェフに「やめろやめろ、本当にダメなんだよ」って言われる場面も面白かったな。

 

音楽・訳詞・演出

音楽は『バンズ・ヴィジット』のヤズベックということで楽しみにしていたのですが、特別好きだったり印象に残ったりという感じではありませんでした。サンディの歌う "What's Gonna Happen" (未来が見える)が1番好きだったかな。

観劇した日の帰り道にOBCを聴いていて、この曲の歌詞に

No sooner do I get my note
And open up my trap
Then inevitably some mealy-mouthed assistant director's
Thumbs are all over his iPhone
And I know he's probably tweeting
LOL, This girl is crap

と「ツイートする」という言葉が入っているのに気が付いて「どうやって訳されていたのかな?」と気になっていると訳詞を担当した高橋亜子さんがちょうどその部分を「X」にて呟いていました。

最初「ツイッター」って歌詞を入れてたんだけどツイッターがXになっちゃったので急きょ改訂したんです(英語はhe's probably tweeting)

そんなことあるのね!?

「彼は多分ツイッターに書いてるの」って訳詞だったのを「彼はこっそり呟いてるの」にしています

誰もツイッターツイッターじゃなくなるなんて思ってませんでしたよね・・・。こんなところにも余波が。

それからカテコでの全員ダンスが可愛かった!!!!「うさぎ!うさぎ!」

演出面は場面転換のテンポも速くておおむねいい感じだったのですが、日生劇場が横にでかいせいか、ややスペースが余っている印象は受けました。

 

キャスト感想

育三郎マイケル/ドロシー

モーツァルト!』の配信を見たのを除けば、作品で育三郎さん(以下、いくさぶ)を見たのは今回が初めてでした。マイケルの台詞には下ネタ由来の汚めの言葉も多いのですが、演じている本人の品が悪くないのもあって過激すぎず、かといって無理矢理言わされている感もなく、ちょうどいい塩梅で自然になっていたのが良かったです。ドロシーのハイキーのファルセットも綺麗でした。

声質の問題か台詞や歌詞が聴き取り辛いのは気になったので、音響の調整がされるといいなと思います。

 

愛希ジュリー

愛希さん(以下、ちゃぴ)は見れば見るほど好きになってしまう。年末は『大奥』の家定さまに落とされて、新年早々ジュリーに落とされる。最早ちゃぴが怖いですね。シシィマリー・キュリー⇒家定⇒ジュリーってそもそも仕事選びから好きかもしれません。

歌は進化が止まらないし、お芝居も好み。さっぱりしていて行動力があり、思慮深く、夢と怒りを抱えているちゃぴのジュリーはとても好きでした。カテコのダンスで足を開いて腰を落とす振付があって、そこでちょっと男役みが出ていたのもツボでした。あああ全部が好き!!!!

 

昆サンディ

『マチルダ』に行きそびれたので久しぶりの昆ちゃん。やっぱり上手い!!ミュージカルが上手い!!!コメディもお手の物なんですね。好きだ~!!!

それにしても昆ちゃんは『The Last 5 Years』で "Climbing Uphill" も歌っているので、オーディションの愚痴を歌いがち?

 

金井さんも初めましてだったのですが間の取り方が素晴らしくて「上手いな~!!!」と思っていました。

そして

おばたのお兄さんマックス

『ウェイトレス』で初めてミュージカルで見てその才能に驚いたのが3年前。久しぶりに見てもやっぱりコメディミュージカル俳優としての才能があふれ出しすぎていて再びびっくりしまくり&笑わされっぱなしでした。台詞の間の取り方、言い方、歌唱、身体表現、どれも素晴らしくて本当に才能の塊。これからもたくさん舞台で活躍を見たい俳優さんの1人です!!

 

 

【ちゃぴ関連】

 

【昆ちゃん関連】