Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

淡々とした群像劇に何を見出すか『ラグタイム』9/25 S 感想

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配役や演出がハマっているところとハマっていないところがまばらで気になったけれど、もろもろをトータルで考えると「良かった」って思える公演でした。なにより私はこの作品のおかげでエマ・ゴールドマンに出会えた。

作品・公演概要

Ragtime
脚本:Terrence McNally(テレンス・マクナリー)
作詞:Lynn Ahrens(リン・アレンズ)
作曲:Stephen Flaherty(スティーブン・フラーティ)
初演:1996年 トロント
   1998年 BW
1998年 トニー賞 脚本賞、オリジナル楽曲賞、助演女優賞、編曲賞 受賞

先日観劇した『アナスタシア』もアレンズ&フラーティとマクナリーのトリオ!

 

ミュージカル『ラグタイム ※日本初演
劇場:日生劇場
演出:藤田俊太郎
翻訳:小田島恒志
訳詞:竜真知子

キャスト

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ターテ:石丸幹二
コールハウス・ウォーカー・Jr.:井上芳雄
マザー:安蘭けい
サラ:遥海
ファーザー:川口竜也
ヤンガーブラザー:東啓介
エマ・ゴールドマン:土井ケイト
イヴリン・ネズビット:綺咲愛里
ハリー・フーディーニ:舘形比呂一
ヘンリー・フォード&グランドファーザー:畠中洋
ブッカー・T・ワシントン:NESMITH

リトルボーイ:大槻英翔
リトルガール:嘉村咲良
リトルコールハウス:平山正剛

他アンサンブル 17名

 

作品の感想

久しぶりに群像劇を見ました。特に予習はしなかったので、冒頭から続々と提示される登場人物たちの紹介に着いていくのにやや緊張感がありましたが、開演直前に相関図をチラ見したのが助けになって置いていかれることはありませんでした。セーフ。

登場人物たちが「お母さんは~でした」と地の文のような台詞を言いながら、淡々と進んでいくところに少し『CHICAGO』っぽさを感じました。思い返すと序盤の振付の感じとかもちょっとそれぽっかった気がする。イヴリンのスキャンダルとショービジネスの世界での成功もロキシーっぽかったり。

やや、淡々としすぎているほど淡々としていてもっと重く描いてもいいのではと思ったりもしたのですが、それは作品自体の性質なのか、演出の問題なのか、役者さんの芝居の問題なのかはわかりません。

 

どうしてコールハウス、マザー、ターテの3人なのか

ターテ、マザー、コールハウスの3人は、それぞれ「アメリカンドリームを追い求めて、一度は失望したものの諦めずにそれを掴んだユダヤ系移民」「上流家庭での『夢のような』暮らしに疑問を持ってそこから出ていくことにした女性」「将来への夢を膨らませていたのに社会からそれらを掴むことを許されなかった黒人」で、アメリカ的な夢との関わり合いという点で共通するな~と思いました。彼らは社会的に弱い立場に置かれていることに違いはなくて、その中にもまた特権と格差がある。マザーがあの家庭から出られたのは白人女性だからだし、ターテとコールハウスはそれぞれ才気があるけれど身分を偽れたターテは成功して、コールハウスは芸術家の道を捨てた上に射殺される。夢や理想を追い求めるにしろ離れるにしろ特権が必要で、そういう構造を描き出すことを目指した作品として私は受け取りました。群像劇で、しかも淡々としているものだからちょっと散漫でこうして文章として書かないと私はこの作品を上手く受け止めきれない感じがありました。今年見た作品だと『太平洋序曲』に近いかも。

 

ラグタイムの劇中での役割

ラグタイムはコールハウスによってニュー・ロシェルに持ち込まれて、New Musicでコールハウスと彼の奏でる音楽に共感するマザー、ヤンガーブラザーと、どうにも馴染めないファーザーを描き出す。そこに白人のアンサンブルたちが、声を合わせて歌うことから、あの家の外にも音が漏れ聞こえて、ニュー・ロシェルの人々が突如町に毎週現れるようになった黒人とその人の奏でる新たな音楽を受け入れているとわかるのが、表現としてとても好きでした。

その分、ラグタイムが黒人と白人を繋ぐ、でもそれはあくまで個人的な繋がりであって、消防団に追い詰められたコールハウスを警官は助けないし、行政機関だって取り合わない、っていうのちの展開の虚しさも大きかったです。

このあとラグタイムが劇中で言及されるのは、ターテが映画撮影現場でマザーにラグタイムを紹介する場面だったと思う。演奏していたのは黒人アンサンブルだったけれど、映画によって広く音楽が届くことで未来に希望が見えるような気もすれば、そうしてラグタイムを生み出してきた黒人たちは現実には殴られ、殺されるのに音楽だけが「楽しいもの」として消費されることへの皮肉にも感じられました。

 

エマ・ゴールドマンと政治運動

私はこの作品を通してエマ・ゴールドマンに初めて出会ったわけですが、すぐに好きになりました。土井ケイトさんのお芝居や歌声も素晴らしくて。エマがターテに「社会主義運動に参加しないか?」と話しかけて、「俺は政治をやりにアメリカに来たんじゃない。働きにきたんだ」と断られたあとに「労働も政治よ」と言ってその場を後にする。もうこの時点でかなり好きでした。ターテはローレンスで機織り工場で働くようになるけれど、労働環境は劣悪で、ゴールドマンが率いるストライキに参加します。この、個人が抱える苦しみをその個人の責任として切り捨てるのではなくて、社会の構造を変えるために運動を起こさなくてはならない、政治を変えなければならないと作中で示されるのは嬉しいです。

それから機織り工場のストライキの場面にわくわくしながら、今年6月に見た『FACTORY GIRLS』のことを思い出しました。こちらはローウェルの紡績工場での労働運動の話で、ローレンスもローウェルも同じくマサチューセッツ州だと調べてわかりました。ファクガは19世紀半ば、ラグタイムは20世紀初頭を舞台としており、比較的近い時代の労働運動描写なんだなとこれを書きながら気が付きました(数字が壊滅的に覚えられないので世界史の時系列が壊滅している。作品を通して縦横の繋がりをとらえていきたい所存)。

それから、政治運動をするにもある程度の立場が必要なのか、と思わされるのもこの作品の悲しさですね。この作品には黒人の地位向上を目指すブッカー・T・ワシントンが出てくるし、コールハウスは彼をとても尊敬しているけれど、正当な手続きを通しての申し立てを拒否された結果、暴力行為に走るしかなくなるわけじゃないですか。彼は裁判所で「言葉」で戦おうとしたのに、それを許されなかった。ブッカーの説得を聞いて再び「言葉」を選んだけれど、待っていたのは射撃だった。コールハウスは政治運動に持ち込ませてすらもらえないんですよね。。。あとコールハウスの車を破壊したのがアイルランド系の、彼らもまた差別される側であるというところも辛い。団結して差別に対抗できればよかったのに、社会が巧みに非差別民を分断しているのだろうと想像できます。

 

イヴリンの存在やリトルボーイの予知能力についてはまだまだ上手くかみ砕けていないです。ぼちぼち考えます。

 

演出の感想

人種表現の記録

黄色人種が人口の多くを占める日本で人種問題を扱った作品を上演するときには、人種の違いをどう表現するのかという問題が付きまとうわけで、この問題を日本のミュージカル界はどう乗り越えていくのかにとても興味があります。

今回は、白人の衣装を純白、ユダヤ人の衣装をグレー、黒人の衣装をカラフルなものにすることで表現していました。黒人の役を演じる役者は髪も普段よりかカーリーにしていたかと思います。これが着地点だとは思いませんが(今回のように人種がはっきり分かれた作品でしかこの方法は通用しないし)、見る側としてはかなりわかりやすい手法でした。

ただ、今月は『メンフィス』の映像収録盤を見たこともあって(黒人女性のフェリシアが白人男性たちに殴られて血まみれになる場面の衝撃が大きすぎた)、やっぱり人種の違いが分かりやすく示されたとしても伝わってくる衝撃や恐怖や怒りは格段に弱まってしまうよなとは感じました。

 

ターテを語り手として強調する意味は

開演前から幕に劇中に登場する人たちの絵が投影されてて、左から黒人たち、白人たち、ユダヤ人たちと並んでいる。そこにターテが現れて語り始めることで、投影された絵が彼による切り絵作品であるとわかります。そしてターテが絵に描かれた人々のことを語っていくと、絵を突き破るように幕の中から同じ衣装を着た役者さんたちが出てきて三次元として立ち上がる。この見せ方がとても楽しくてわくわくしました。これ以降は、舞台上に鉄骨3階建てのセットが出てきて「藤田さんぽいな~」と思いながら見ていました。

ターテとファーザーの乗った船がすれ違う場面やコールハウスが消防団に囲まれる場面でもターテによる切り絵が使われていて(しかも、2幕冒頭でそれらがターテの作品であることを再度強調するようにプレイバックする)、この作品を「ターテが語る物語」にしたいのであろうなと思いました。ただ、ターテにはコールハウスら黒人たちと交流する場面はなく、劇中で最も盛り上がるのはコールハウスの立てこもりの場面(だと私は思う)なので、そこを強調する意義はあんまりわかりませんでした。

今年春学期に受けていたアメリカンミュージカル史の授業の中で(もしかしたら関連書籍だったかも)、アメリカのエンターテインメント業界では多くのユダヤ人移民2世の芸術家たちが活躍していて、彼らはユダヤ人コミュニティにもアメリカという国にも帰属意識を覚えられない孤独を抱えながら、あらゆる人種が融和する理想のアメリカを作品の中に作り上げようとしていたっていう話があったんですよね。これは初期アメリカンミュージカルの授業だったから、1950年代とかの話だったと思うし、ターテは移民1世なわけですけど、人種が入り乱れる映画を撮るターテを見ながらこんなことを思い出していました。映画を作るようになって理想のアメリカをそこに作り上げるターテが、全く理想とはかけ離れた差別と暴力に溢れたこの作品の語り手であるということ。繋がりそうで何かピースが足りないようなもやもやを抱えています。

 

キャスト感想

まずは、アンサンブルの塚本直さんの話からしないとですね。1幕ラスト、サラの葬儀の場面で塚本さんがサラの友人役でメインボーカルを務めるTill We Reach That Dayがとんでもなく素晴らしかったです。パワフルでソウルフルな歌声に圧倒されて、幕間に入った瞬間に友人と顔を見合わせて「今の誰!!」ってなりました。今年のRENTのジョアンヌは彼女だったんですね!!瑛美子モーリーンと塚本ジョアンヌのTake Me or Leave Me聴きたかったぞ。。。。

それから遥海さんのサラ。「芳雄のミュー」で歌声を聴いて衝撃を受けたのが初めての出会いだったのですが、ミュージカル界に新星現る!って感じで最高でした。熱い歌声でグルーブ感のあるビブラートが作品にマッチしていてとても素敵でした。大統領に直談判に行く場面でも、サラの純粋さと優しさがお芝居に(特に声に)乗っていて好きでした。

 

石丸ターテは流石の安定感と歌声でしたし、安蘭さん(とうこさん)マザーはN2Nのダイアナのイメージが強いので「キレてしまえ!」って思わなくもないんですが、徐々に自分で物事を決定するようになっていく姿がかっこよかったです。マザーの音域はとうこさんの得意音域よりも高いのですが、丁寧に歌っていて良かったです。

川口さんの歌声とお芝居をたくさん楽しめたのも嬉しかったです。高圧的ではないものの、当たり前に価値観を押し付けて考える力を妻や子どもから奪ってしまうし、家族からいつの間にか除け者にされたような気がして疎外感に悲しむファーザー、とても良かったです。東くん(とんちゃん)は、日生劇場で過激思想に傾いて爆弾作りがち(1月の『ザ・ビューティフル・ゲーム』)。

芳雄さんのコールハウスは、正直役に合わないなと思いながら観劇しました。芳雄さん自体は好きだし、歌はうまいので歌えてるんですけど。ちょっとクリーンすぎて、サラ以外ともさんざん遊んでいた男が心を入れ替えて毎週ニュー・ロシェルまでやってくるっていうのがあまり効いてこなかったり、怒りや嘆きの爆発力があまりなかったり。。。拗ねたりもだもだしたりする芳雄さんは好きなんですけどね。Make Them Hear Youももっと重くあってほしかったなと。

 

 

 

 

【石丸さん関連】

 

【芳雄さん関連】

 

【とうこさん関連】