ラスト楽曲のNextで一気に突き放されて、未だ作品をうまく咀嚼しきれていないのだけれど、とても良いプロダクションだったなと思う。今の時点で私が受け取っているものを書き残すね。
作品・公演概要
Pacific Overtures
音楽・歌詞: Stephen Sondheim(スティーブン・ソンドハイム)
脚本: John Weidman(ジョン・ワイドマン)
"additional material": Hugh Wheeler(ヒュー・ウィーラー)
初演: 1976年 BW
ミュージカル『太平洋序曲』
劇場: 日生劇場
演出: Matthew White(マシュー・ホワイト)
振付: Ashley Nottingham(アシュリー・ノッティンガム)
美術: Paul Farnsworth(ポール・ファーンズワース)
翻訳・訳詞: 市川洋二郎
梅田芸術劇場とMenier Chocolate Factory(メニエール・チョコレート・ファクトリー劇場)の共同制作
舞台美術と演出について
とても素敵でした。日生劇場で見た作品では1番好きかもしれない。シンプルで洗練された美しさがある。階段は打ち寄せる波のようで、香山と万次郎の乗る小舟も大きな波に見える。たまての死であったり、黒船上陸の瞬間であったりの布を使った表現も美しかったな〜。遠くに小さく見える黒船は、アンサンブルたちが船の模型を持ってゆらゆらと動かすことで、沖に現れた姿は巨大な布で船首を立ち上がらせることで表現していたのがとても好きだった。無駄のない美しさ。
屏風絵や絵巻を連想させる演出も素敵だった。将軍の場面が舞台中央で展開されているとき上手の片隅で香山とたまてがちょこんと座って釣りをしている。次は2人の元に重臣が現れて香山に務めを与える場面なので、将軍の場面の時点で既に次の場面の様子がちらっと見えている状態にある。先の展開が視界の隅に入るのが絵巻っぽくて良かったよ。
孝明天皇は「人形」の姿で登場し、老中たちが彼の代わりに台詞を言うことで、天皇はお飾りにすぎなかったことが語られる。思い返せば思い返すほど演出と美術に無駄がないな。
圧倒的なアンサンブルの力
今作は曲数が少なく1曲ずつがびっくりするほど長い。Someone in a Treeとか全く物語が進まないのに信じられない長さ。なんであんなに全ての曲が長いんだろう。あの長さとまわりくどさが「日本的である」といわれればそんな気がしなくもないけれど。
それでも、今回のプロダクションは誰が歌っても上手くて、特にアンサンブルをスーパー歌うま俳優さんたちで固めてきてるから楽しめた。誰がソロを歌ってもうまい、皆で歌えば圧倒的な厚みを生み出すあのメンバーを集められたからこそ素晴らしい作品に仕上がったんだと思う。
四匹の黒い龍の染谷くん漁師の無双状態には度肝を抜かれてしまったよ。楽曲もパフォーマンスもとんでもなくかっこよかった。
動く風刺画
冒頭で開国前の日本を「変わらない毎日を繰り返す国」として描いていたり、生まれて間もない天皇を神のように崇める日本人を小馬鹿にしたような場面があったり (天皇崇拝については私もアホらしいと思ってるわよ) 、やはりアメリカ人が作った=日本の外側の視点・西洋の視点から作られた作品だなと感じる。
ただ、今作は日本以外の国々のこともみんな嘲笑うような性質を持っている。そこには初演の地であるアメリカも含まれている。
香山と万次郎が黒船に近づき交渉をするシーンでは、万次郎がアメリカ人提督に対して突然怒鳴り立てて「アメリカ人はいつも怒鳴っているけれど、怒鳴り返したら大人しくなる」といった発言をする。これは完全にアメリカ人の特徴を馬鹿にして嘲笑う内容。
そしてPlease Hello。アメリカ・イギリス・オランダ・ロシア・フランスの提督たちが次々に訪れては将軍に交渉を持ちかける場面。提督たちは腰に船の模型をつけて、それぞれの国の特徴を誇張したカツラや衣装を身にまとい、喋り方も不自然ないわゆる「外国人の話す日本語」といったアクセントで歌う。この場面で描かれる各国は、教科書に載っているビゴーの風刺画がそのまま動き出したかのようで面白かった。
やはり、全編を通して西洋視点で見た時の「日本」を感じるけれど、今作は他の国々のことも外側から見て馬鹿にする、すべてを嘲っていくような性質が強くて、そこが良いなと思う。スウィーニーとかもそんな気質のある作品だから、もしかしたらソンドハイムの好みだったりするのかもね。
Nextの話
尊王攘夷運動に傾倒したジョン万次郎が、近代化していった香山を斬ったところに明治天皇に扮した狂言回しが現れて始まるNext。これまでゆったりした楽曲が多かった中で、突然アップテンポになるし、これまで和服を纏っていたアンサンブルが一転、現代的な洋服を纏い、赤い照明の中で踊り狂う。恐ろしい場面。
前半は、明治天皇の名の下に行われた近代化政策やアジア諸国への侵攻を称揚するような内容。イギリスやアメリカが私たちにしたように、韓国や中国に進出するのは正しいと唱える。これはもちろん皮肉を込めた描写。急速にアップテンポになった楽曲と踊り狂うアンサンブルで、せきたてられるように猛スピードで進んだ西洋化の異様さを物語っている。
対して後半は...困ったことに歌詞が全く聞き取れず。本当に困った。考えるための要素が拾えなかった。オケの音量をもう少し抑えて歌詞を聞かせてほしかったよ。
ただ、特徴的だった映像の使い方から考えられる部分もある。Nextが始まると、それまで屏風や日本の伝統的建築物を思わせるように作り上げられていた美しいセットが取り払われて、舞台後方に大きなサイネージが出てくる。そこに、まずは浮世絵の波のような絵柄をデジタル技術で動かした映像が映し出され、その後映像は徐々にデジタル空間そのものを表すようになっていく。ちなみにこの映像がとんでもなくチープだったのは、狙ってのことなのかどうなのか。
浮世絵=江戸時代からデジタル空間=現代に映像を繋げているのは、Nextの内容と地続きにある現代日本を批判したいからなのだと思う。
暴力が溢れる世の中
=水兵が日本の女性を襲う世の中 (Pretty Lady)
=それに対する報復がなされ、水兵の首が飛び交う世の中
=友であった香山と万次郎が剣を交えることになった世の中
暴力が溢れる世の中においてファシズムが台頭する瞬間を描きながら、現代日本に未だ残る全体主義的性質を批判しているんだろうな。
それから、アメリカで制作されたことを考えると「欧米の介入による日本の西洋化への反省」といった文脈もあるのかもしれないな。友であった香山と万次郎が殺し合う状況=近代化推進派と尊王攘夷勢力に社会を二分して内戦状態にしてしまったことへの反省。そして日本による他国侵略のきっかけを作ったことへの反省。もちろん侵略行為は全面的に日本の罪なのだけれど。
今のところ、私のNext解釈はこんなところ。
エピソードの積み重ねで着実に進めてきた物語を一気に「主張」の域に持っていくのが今作におけるNextの役割。そうだとすれば、もう少しだけ聞き取りやすくわかりやすく「届ける」ことを意識しても良かったんじゃないかなと思う。突然突き放されて困惑して、なんかよくわからんかったな〜ってなっちゃった人も多いんじゃないかな。かくいう私も終演した瞬間???ってなったよ。
狂言回しの目的は?
狂言回しは美術コレクターとして歴史を語り始めるけれど、彼自身は日本の歴史をどう評価しているのだろう。骨董品を収集するのは動乱の最中の日本を愛し、西洋化の功罪を語り継ぎたいと考えているからなのだろうか。はたまた全く違った意図があるのか。明治天皇を演じるのは彼なりの皮肉だと思うけれど。いや、むしろ明治天皇の推し進めた急速な西洋化の結果としてコレクターが生まれてくるということなのか。どうなんでしょうね。
Welcome to Kanagawaと Pretty Lady
Welcome to Kanagawaについてはあんまり意図が掴めなかったんだよね。田舎娘たちが駆り出されて、外国人相手に売春させられていたことを描いているのだけれど、当の本人たちはそれを嫌がったり悲しんだりしている様子もなく。正常な判断ができないような幼い娘や田舎から出てきた無知な娘たちが、相手をさせられていた惨さを描いているのかって今これを書きながら考えたけれどどうだろう?
反対にPretty Ladyは強烈なシーンだった。水兵たち3人が桜を見ている1人の娘に近づいてきて、初めは両者の心温まる交流が描かれるのかもしれないと少し期待してしまう。しかしそんなことはなく、水兵たちは逃げようとする娘を追い回し、「仲良くしよう」「お金を払えばいいのかな?」「これじゃ足りない?」と迫り、襲いかかる。
どちらのシーンも性的に食い物にされた日本の女性たちを描いている。これもまた「反省」や「贖罪」なのかもしれない。
Pretty Ladyの後、娘の親に斬られた水兵の生首が舞台上に投げ入れられ、それをキャッチ&リリースする狂言回しさんに『ピピン』のリーディングプレイヤーさんを感じて大変テンションが上がった。倫理観の欠落した語り手仲間なのかも?
香山&万次郎まわり
妻への愛を詠む香山とアメリカを恋しがる万次郎の俳句合戦Poem。「どうぞ」がかわいい。個人的には香山と万次郎の対決場面で喧嘩デュエットがほしかったよ。こんなに素敵な曲で育んだ友情は同じくらい素敵な曲で叩き割りたいじゃないの。決闘の殺陣は素敵だったからよしとするか。
A Bowler Hatの見せ方も好きだったな。
どんどん西洋的な生活・価値観になっていく香山の様子を歌唱を通して描きつつ、あんなにもアメリカに帰りたがっていた万次郎が武士の道を歩み始め、攘夷志士になる様子をこちらは歌唱や台詞なしで描く。万次郎が攘夷思想に傾いていく様子を言葉で描かないのがうまい見せ方だった。寡黙に剣を振う姿を描くことで彼が心から武士になっていくのを感じられるし、おそらく彼の思想を口にしてしまったら軽くなってしまったと思う。
今回、香山と万次郎の衣装とヘアメイク優勝してしましたね。和装香山、セーラー服万次郎、洋装香山、和装万次郎、全部素敵だった。海宝さんもウエンツもとってもかわいい。似合ってた。だからこそ狂言回しの衣装とヘアメイクはなぜああなったんだ・・・という。
ソンドハイム生誕祭
私が鑑賞した3/22はソンドハイムのお誕生日ということでアフタートークがありました!後から知ったのですが、ロイドウェバーも3/22生まれらしい!なんてこった!!
歌詞検討会メンバーの可知さん&杉浦さん
ダンスキャプテンの照井さん
歌唱指導助手&スウィングの横山さん
指揮者の小林さん
オーケストラの皆さん
が参加して、楽曲についてのお話をしてくれました。
歌詞検討会は、やはりソンドハイム楽曲は難易度が高く、大変だったそうです。しかも可知さんはヘアスプレー、杉浦さんはJBに出演中だったらしいです!訳詞担当の市川さんはその頃WEのトトロに参加中だったそうな笑笑
検討会ではA Bowler Hatの歌詞が「オランダ大使の不埒なふるまいに気をつけろ」から「新しい妻を娶り」に変わったりしたそうです。
小林さんからはソンドハイム楽曲の魅力の解説があり、その魅力をキャストの歌唱やオケの演奏で伝えてくれるという豪華な展開に!
The Advantages〜でオケが3拍子のまま歌唱パートだけ拍子がどんどん変わるところとか、Please Helloのフランス提督パートでの転調が連続するところとかを実演してくれたのがとっても楽しかった。Poemのつづみのような音はボンゴで出しているらしい。
私はソンドハイムの異様な雰囲気の楽曲がとても好きだけれど、その魅力がどのようにして生み出されているのかきっちりわかっていなかったから、実演とともに解説してもらえたのはとても楽しかった!キャストのアフトも楽しいけれど、こういうちょっとアカデミックな内容のアフトも増えてほしいな〜
バージョンの事前告知は必要
初日の1週間ほど前にTwitterで炎上した「上演時間問題」についても書き残しておきます。
私はロングバージョンを見たことがないし、そもそも今作に複数バージョンがあることを知らなかったし、実際に短い方を見てとても満足しています。
が、複数バージョンがあるうち「どのバージョン」を上演するのかはチケットを売る前に告知すべきだったと考えています。
議論が「短いのに高い」といった方向にも派生したけれど、私の主張はそれとは全く違うのでそこはわかってもらいたい。
私はこの問題を「誠意」の問題だと思っています。私たち観客は事前に開示された少ない情報をもとに、先々の予定を空け、お金を払ってチケットを購入します。何を理由にチケットを買うかは人それぞれです。気になる演目だから、好きな俳優が出るから、作曲家が好きだから、さまざまな理由があります。しかしその根底にあるのは「信頼」なのだと私は思います。
結果的に『太平洋序曲』は素晴らしい公演だったので、「信頼」を裏切ったとは思いませんが、あくまで興行主側には観客への「誠意」を忘れないでほしいと思います。開示できる情報はしっかり事前に開示して、観客が気持ちよくお金を払って、気持ちよく劇場に足を運べるようにしましょう。既存客が楽しくなさそうなところに新規客なんて来るわけがないのよ!
私は感情の積み重ねで進めていく物語が好きなので、今作はそこまで刺さっていないのですが、これだけの内容を考えるきっかけになったという意味で良い作品に出会えたな〜と感じています。ソンドハイム楽曲を適切なキャスティングで楽しめたのも嬉しかった!!
【海宝さんつながり】
【梅田芸術劇場主催つながり】
梅芸作品あんまり見られてないんだな〜。バイオームが最後か!?