2021年に田代万里生&平方元基ペアでsomlに出会い、そこからずっとひらまりペアの亡霊を追いかけてきました。そして、ついに2人のいない日本版somlがやってきました。
この作品は、私にはパーソナルな作品なのでこの記事はほとんどエッセイになります。
作品・公演概要
The Story of My Life
音楽・詞: Neil Bartram(ニール・バートラム)
脚本: Brian Hill(ブライアン・ヒル)
初演: 2006年 トロント
2009年 ブロードウェイ
2010年 ソウル
2019年 東京
2024年 オフ・ウエストエンド
ミュージカル『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』
劇場: よみうり大手町ホール
演出: 高橋正徳
翻訳・訳詞: 保科由里子
日本での上演は3度目
キャスト
アルヴィン: 太田基裕
トーマス: 牧島輝
somlと私
私のsomlは2021年の田代・平方ペア(兄ペア)からでした。そのときは兄ペアに振り切ったので太田・牧島ペア(弟ペア)は見ていません。今回が初めての観劇です。
▪︎3Dすぎて記憶がない『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』12/14 S 感想
▪︎ somlの1週間煮込み (次回観劇までの期間に考えたこと置き場)
▪︎ 分析が楽しすぎてやめられない『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』12/21 M 感想
▪︎ 再演はこれで終わり?『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』12/25 M 感想
そして、2023年には韓国でsomlを3ペア見ました。
韓国でsomlを上演すると聞き「絶対に見る」とは決めたものの、ひらまりペアが心に強烈に焼きついたままで「違うペアのsomlを楽しめるのか」という不安もありました。
でもそんなのは全くの杞憂で、新たなペアとの出会いを通して、作品の今まで見えていなかった側面が見えてきて(そしてもちろん情緒もめちゃくちゃにされて)とても楽しかったです。
感想を書くのをサボった結果1ペア分(チャンヨントム&ジェボムアル)しか正確な感想が残っていませんが・・・。
▪︎ 【🇰🇷韓国観劇記3-1】『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』12/15 M 感想&演出のレポ(日本版との比較も)
さて、なんでこんなことを長々と書いたかというと、今回の観劇で私は「ひらまりペアの亡霊」もっと言えば「平方トムの亡霊」に完全に囚われてしまったからです。
純粋に初めて出会うペアのsomlを楽しみたいと心から思っているのに、勝手に記憶の引き出しが次々に開いてしまうんです。
感想
なぜかここのところ(今年度に入ってから?)音源にも触れていなかったので、久しぶりにsomlという作品に向き合えて、まずはとても嬉しかったです。クラリネットの温かい前奏が心に沁みました。
そしてバートラムの音楽の優しさに改めて包まれて、そのままふわふわとした心のまま流されそうになったものの、太田アル&牧島トムは見ていけば見ていくほど「ほろ苦くあっさりしている」ペアだと感じました。
太田アルは「人間味」が強い。これは確実に私が感じた「辛さ」の元の1つだと思います。もちろん衣装の効果も大きくて、ピンクのひらひら天使衣装に慣らされた私にはまだ、シャツにズボン姿のアルヴィンは新鮮です。
エネルギーの塊でキャラクター色が強かった万里生アルは置いておいて、韓国で見てきた3人のアルヴィンたちも衣装はナチュラルながら「天才博士ちゃん」「変化球ウザ絡み魔人」「優しさの塊ワンコ」といった具合でなかなかにハッキリした性格をしていました。
対して、太田アルは日々の暮らし、なんでもない毎日が見えてきそうなくらい「人間的」でした。
これは特有のものなんだろうと思います。アルヴィンという人間が慎ましくも確かに生きていたんだと思わせるリアリティがあり、そして「今はもういない」ことによる喪失感もどこか緩やかに思えました。
喪失はほろ苦く胸に引っかかるけれど世界は回り続けて、1人分ぽっかり空いた穴も時間とともにいつのまにか埋まっていく。でも確かに私たちの世界のどこかに生きていた、そんな感覚になるアルヴィンでした。
(somlの感想を書くのはやはり格別難しいですね。。。心で捉えたちょっとした感覚に似通った言葉を頭の中にある少ない語彙を拾い集めてなんとか繋げていかないといけないので。既にめげそう)
こうして公演のことを思い返しながら感想を書こうとして不思議に思うのは、あんなに真剣に客席から見ていた太田アルの輪郭がどんどんぼやけていくこと。
太田さん(以下、もっくん)のことをよく知らない私(本当に役としての姿以外をあまり見たことがない。グリブラ「2.5次元ミステリアスの極意」回くらいしか)ですが、なんとなく落ち着いた人柄のイメージがあります。そんなもっくんのアルヴィンがどんな風にはしゃいでいたのか、どんどん頭から抜け落ちていって掴めなくなっていきます。
思い出すのは「微笑み」ばかり。温かくも冷たくも、安心したようにも悲しそうにもトムを責めているようにも見える、複雑な心の内を柔らかくぼやかしたような微笑み。たった今、気がつきましたが太田アルはモナリザなのかもしれません。「この瞬間、覚えてない」と言う牧島トムの心に浮かぶのも、あの微笑みなのではないでしょうか。
誤解のないように書きますが、決して太田アルの幼少期の芝居が薄いとかそういうことではありません。太田アルの「掴めなさ」は、内面の複雑さと微細なニュアンスから来るものだと思います。空っぽで掴めないとは違うものです。
そんなわけで底知れないアルヴィンではあったのですが、トムに対しての気持ちの向け方も結構あっさりだったように思います。
愛情深いのは間違いないものの賢さゆえの自己完結型で、本心をトムにぶつけたいとは全く思っていなさそうでした。その点、冒頭の「僕の頭の中は見たくないでしょ」という台詞がとてもしっくりきます。
You're Amazing, Tomの首のキレが恐ろしかったりはしたものの、時々飛び出す棘のある言葉にもトムを動揺させたり困らせたりする意図はないように思います。ある程度の諦めを感じるというか。。。それはそうと「帰省」の「つまらない男になったな」だけ、突然アルヴィンが言わなさそうな不思議な響きで可笑しくて笑ってしまいそうになりました。
あと、独立記念日の「び~」でジャケットをバタバタとするアルヴィン、あれはスーパーマンのイメージだったのですね。突然「ハッ」と理解して「作家の立ち往生」の意味に気が付いたトムの気持ちになりました。アルヴィンに「今更?」って言われてしまう笑笑
そして私がこのペアを「あっさりしている」と思った大きな理由の1つなのですが、「牧島トムの太田アルへの愛、少なくないですか?足りなくないですか?」。。。この物語はアルからとトムからの愛(どんな形であれ)が釣り合っていないとこんなにも寂しい物語になるんだな、と思い知らされました。
というのも牧島トムはかなり自分のことしか考えていない人間に見えたんですよ。これは私が後列からオペラグラスを使って作品を眺めていて、微細な表情を掴み切れていないことにも理由はあると思うのですが、少なくとも歌声や台詞の端々には、彼なりのアルヴィンへの気持ち、共に過ごした日々への気持ち、みたいなものがあまり感じられず。。。そして私には牧島トムという人間がよくわからないのでした。
今まで見てきたペアに随分と甘やかされてきたのかもしれない・・・と思いつつ、私は一種の「呪い」の話でもあるこの物語が、雪の中の天使の魔法で温かく甘い味わいになっているところが好きなので、その点では満たされなさも感じました。幼少期牧トムのちょっと「ポヤっと」した表情の使い方とかは好きだったんですけどね。
そして歌声への気持ちの乗せ方の部分で、平方トムの亡霊が出てくるんですよね。SNSでも割と言われている通り、牧島さん(以下、マキシマム)は平方さんと声質的に被ってくる部分があります。音色の柔らかさとか低音にかけての響きとか。
ただ、聴いてみると歌声そのものが似ているわけではなくて、恐らく「平方トムイズム」な歌い方になっているのではないかと。特定の音の出し方、繋げ方、張り方に反応して次々に開く頭の中の引き出し。観劇している私の後ろに平方トムが立っていて、牧島トムの上から歌声を被せてくるような状況になってきます。
そうなると平方トムの歌声がもたらす感情の波に心が流されて行ってしまって、余計に牧島トムのことがわからなくなる、というわけです。
牧島トムは音が外れるということはないのですが、音域がギリギリなようで高音やロングトーンになると歌うのに必死になってしまっている感じもありました。歌にもっと余裕が出て、歌う+αの表現がもっと見られたら良かったかも、と思ったり、私が真っ新な状態でこの作品を見られたら、牧島トムのお芝居ももっと楽しめたのかな、とちょっとした罪悪感もあったりはしました。
ちなみに太田アルもおそらく音域自体はギリギリなのかな、と感じましたがお芝居の強弱と歌の中の苦手・得意な箇所を合わせて補う形になっていて(かつ、絶対に必要な音は気合で出す、みたいな)「上手いな」と思いました。
技術的には、やはり大劇場を歌で制圧できる長男ペアの伸びやかな歌声とそこに乗せる感情の色が恋しくなります。
色々と書きましたが、音楽と感情の波に誘われて見えなくなってきていたsomlという作品を俯瞰して見られて、改めて作品の緻密さを感じてとても楽しい公演でした。
ひらまりペアと冬眠...とはならなかった
そんなこんなで終演後の私は「私の日本版somlはひらまりペアと共に眠る...😌」などと考えていたのでした。
しかしSNSで「長男ペアの亡霊は三男ペアで成仏できるかも」という投稿を発見。山崎&小野塚ペアを見てみるべきかもしれないと思い、急遽観劇を決めました。
そのときの話はまた改めて。