Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

連帯と小さな勝利の物語『FACTORY GIRLS』6/5 S 初日 感想

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扱っている題材、そして描かれるテーマが素晴らしい分、形式がもちゃっとしてるのが気になって、歯痒く感じる作品でした。絶対もっともっと磨けると思うんですよね。再再演、がんばって。

 

題材とテーマ

公式サイトのあらすじ

19世紀半ばのアメリカ・ローウェル。そこは多くの人々の夢と野望が渦巻く街だった。
産業革命により大規模な紡績工場が誕生し、ローウェルには多くの先進的な女性たちが集まり、ファクトリーガールズとして働いていた。ガールズの寄稿集「ローウェル・オウファリング」は、自由を夢見る女性たちにとって憧れであった。
サラ・バグリー(柚希礼音)もそんな一人。彼女は貧しい家族を助けるため、そして自らの自由を得るために、故郷を旅立ってローウェルにやってくる。

しかし、ローウェルの工場で彼女が目にしたものは、轟音をあげる織機、理不尽な抑圧、そして機械のように働くガールズ。衝撃を受けるサラだったが、ラーコム夫人(春風ひとみ)の管理する寮で、心優しいアビゲイル(実咲凜音)やラーコム夫人の娘ルーシー(清水くるみ)をはじめとする仲間たちに出会い、人生を謳歌するマーシャ(平野 綾)の華やかな生き方などにも刺激を受ける。

そして、中でも「ローウェル・オウファリング」編集者としてガールズの憧れの存在であったハリエット・ファーリー(ソニン)との出会いによって、彼女は文章を書くことに新たな自分を発見し、ハリエットもまたサラの文才を認め、2人はいつしか深い友情で結ばれていく。

しかし、工場のオーナーであるアボット(原田優一)は、競合の出現によって業績の落ちてきた自分の工場を立て直すべく、労働時間の延長を図る。

それは、ガールズにとっては生命に関わる労働環境の悪化を意味するものだった。

ファクトリーガールズが動揺に包まれる中、新しい労働新聞「ボイス・オブ・インダストリー」のライターのシェイマス(寺西拓人)との出会いによって、自分の文章を武器に労働争議へと身を投じることを決意するサラ。

一方で、「ローウェル・オウファリング」の発行人であるマサチューセッツ州議会議員のスクーラー(戸井勝海)と甥のベンジャミン(水田航生)は、ハリエットを編集長に抜擢し、ローウェルの工場の投資家集めのためのシンボルにする。幼い時に両親を亡くしてからの居場所である工場と仲間を、彼女のやり方で守ろうと奔走するハリエット。

いつしか2人の生き方はすれ違い、ローウェルをゆるがす事態に発展する中で、悲劇が起こる。

様々な思惑が渦巻く中、自分の信念に生きようとするサラとハリエット、そしてファクトリーガールズが闘いの末に辿り着く未来とは…

 

実在する人物と史実に基づく物語

サラ・バグリー(Sarah G. Bagley)もハリエット・ファーリー(Harriet Farley)も実在の人物で、この物語は史実に基づくとのこと。

サラもハリエットもBritannicaに載っていて、サラの項目にはこんな記述が。

Bagley(略)wrote a series of pamphlets on labour topics, and by her militant criticism contributed decisively to the demise of the pro-owner Lowell Offering, edited by Harriet Farley, in December 1845.

「サラの批判によってローウェル・オウファリングが終わった」と言われているけれど、同じローウェルの地で女性労働者の権利向上を目指した彼女たちは出会い、友情を育んでいたのではないか?今作はそんな「もしかしたら」の希望を描いた作品なんだと思います。公演期間が始まる前に『ウィキッド』と重なるツイートが流れてきたことにも頷けます。

公式はもっと「史実ベースです!」「敵対したと語られてきた女たちの友情の物語です!」って押した方がいいと思うよ。

 

女性たちの連帯

工員たちが連帯していく過程が丁寧に描かれていたのが素敵でした。

サラとハリエット

ハリエットとの出会いに心が明るくなって踊りだすサラと、それにつられてちょっと不格好に踊ってみるハリエットのシーンがとてもよかったです。(鑑賞中は考えなかったけれど、今思い返すと、ここにも『ウィキッド』っぽさがあるかも。「Toss! Toss!」)

そうして心を通わせた彼女たちが、立場を違えていく展開も切なくて好きでした。

長時間労働に苦しんでいる女性たちを「今」救うべく組合を立ち上げて政治的に戦おうとするサラ。そして「ローウェル・オウファリング」の人気がヨーロッパにも広がり、世界中が「女性」という立場に注目しているからこそ、今は争議を行うべきではないと主張するハリエット。

女性の地位の向上を目指す2人が方針の違いから批判合戦を繰り広げていく。この「思想のぶつかり合い」が面白かったです。だからこそもっと熱く描けるはずだ〜というまだもだも生まれてくるんですけどね。あと、ハリエットには、Voice of Industryに寄稿されたオウファリング批判の記事がサラによるものだと、すぐさま気がついてほしかったな。

ただ、ハリエットが工場長や出資者たちの言いなりになって記事を書くことを拒み、オウファリングを投げ合って、再びサラたちと共鳴するシーンでは、リプライズが効果的に使われていて素晴らしかったです。それまで封印されてきたソニン砲が「邪魔など〜させないわ〜」でズドーンと飛んでくるのも良い😌✨

 

マーシャの合流

お洒落が好きで、ベンジャミン狙いで、「なんでお金にならないことをしなくちゃならないの〜」と、はじめはサラたちの運動にも賛同しなかったマーシャ。そんな彼女が一歩踏み出すきっかけが、フローリアのバックグラウンドを知ることなのがグッときました。

「父親のガールフレンド」にされていると噂されるフローリアが、その事実を皆に告白し、その上でマーシャに「心配するのではなくて、ただ、これからの私を見ていてほしい」と訴える。そしてフローリアの在り方に触発されたようにマーシャが「私も同じようなものよ」と自分のバックグラウンドを明らかにする。

フローリアが彼女の苦しみと前に進む意思を共有したからこそ、マーシャとフローリア、そして他の女性たちの間にも強固な繋がりができていくのがいいなと思いました。

サラたちの行進の誘いに対して、はじめは「そんなことしたらブラックリストに載っちゃうじゃない〜😩」「会社とやり合うつもりじゃなかったのにな〜」と言いながらもシャドボクシングを始め、最後には「よっしゃ〜やるぞ」と頼もしい姿を見せてくれるマーシャがかっこよかったです。

 

ヘプサベスを見捨てない

争議に協力的ではない工員として描かれてきたヘプサベスが、実はサラの書いた記事を読んでいて、それが工場長にバレてクビになってしまうシーン。「こっそり読んでたんだけどバレちゃって。私って馬鹿よね」と笑うヘプサベスが印象的でした。また彼女は、工場長の指示で資本家たちに身体を売り、病気を患ったことを明かします。

サラたちがヘプサベスを受け入れる様子を描くことで、搾取されてきた、でも声を上げることができなかった女性を取り残さない物語になっていたのが良かったです。病気で弱ったヘプサベスを皆で支えながら、行進をするガールズの姿に目がうるうるしてしまいました。

 

アビゲイルの死

アビゲイルの死には驚かされました。それと同時に、女性参政権運動を描いた2015年の映画『Suffragette(未来を花束にして)』を思い出しました。1人の死によって運動が前に進んでいくことの苦しさとやるせなさが押し寄せてくる。

葬式のあと、1幕でアビゲイルによって歌われた「自由か死か」を皆で歌い繋ぐのが良かったです。ここでも1人の勇気が周りの人を鼓舞する構図になっていて、ガールズが互いに励まし合いながら運動を進めていく姿に胸が熱くなりました。

それから「アビゲイルのために」だけでなく「そしてなにより自分のために」と続くのも良いですね。そう、ここで「未来への視線」みたいなものもあっても良いのかな〜と思ったりはしました。運動への参加を母に止められたルーシーが「これはママの戦いでもあるはずよ」というシーンがあったり、ハリエットが自分の母の不憫な最期を歌う場面があったりと、「過去の女性たち」を背負って戦う姿勢がある分、未来への言及も欲しいな〜と。『Suffragette』ではそれこそ、主人公が運動に身を投じていくきっかけが「次の世代を守るため」だったりしたので。

 

小さな勝利でも...

運動の結果、工員たちは「労働時間を10時間にとどめる権利」を勝ち取るものの、「オウファリング」は廃刊になり、サラとハリエットは街を追われ、しかも手にした権利は「工場に残るためには放棄しなければならない」とされる。観劇しながら「これは勝利と言えるのか」「彼女たちの戦いに意味はあったのだろうか」という考えが頭をよぎりました。でも、ルーシーの一言でハッとさせられました。「私たちは権利を認めさせた、なんだか自信がついたわ!」

この作品で描かれた勝利は小さなもので、勝利と呼んで良いのかも怪しいです。でも、そこに「抵抗があった」という事実は大きい。こうした抵抗と小さな勝利が未来に道を作ってきたんだと、改めて考えるに至りました。

 

 

ミュージカル表現上の課題

テーマが良かった分、ミュージカルという表現形式にうまく乗っていないのが気になったので、その辺りの違和感を私なりに考えてみようと思います。

ちなみに今作はクレイトン・アイロンズ(Creighton Irons)とショーン・マホニー(Sean Mahoney)の共作で、演出は板垣恭一さん。

日比谷フェスティバル2023のパフォーマンスでのソニンさんのお話によると「アメリカで大体の曲と流れができていた」作品らしいので「日本オリジナル作品」と言って良いか、そもそも何をもって「日本オリジナル」とするのか、と悩んだのですが、日本での初演に向けて練り上げられた作品であることには違いないということで「日本オリジナル作品」タグをつけさせてもらいました。

ちなみにクレイトンさんのサイトでちょっと英語の(多分デモ)音源が聴けます。

 

「突然歌う感」はどこから生まれる?

ミュージカルの「突然歌う」ところが苦手、という人に対して、私も「ミュージカルってそういう表現手法だから」と答えてしまうことがあるけれど、ミュージカルが好きな私でもたまに「突然歌う感」が気になる作品もあったりして、今作はそれに当たります。「突然歌う感」のある作品。

要因として、台詞から楽曲に切り替わるときの繋ぎの悪さがあると思いました。演者が台詞を言い終わったあとで次の楽曲の前奏が始まり、その間、演者が手持ち無沙汰にしている(ように見える)場面が多かったです。前奏の最中に生まれる「間」によって一度流れが途切れてしまうから、観客も一瞬、物語から思考が離れて「あ、今から歌うのね」って思ってしまうのかもしれません。

 

目指すミュージカルの形態

あとは「どういう形態のミュージカルを目指すのか」っていう部分が定まっていないように感じました。これもまた「突然歌う感」を生み出している要因かもしれないです。

学校で習った「ドラマミュージカル」「ダンスミュージカル」「ソングミュージカル」という分け方に従えば、今作は「ドラマ」をやろうとしているのに突然「ダンス」が入ってくることによって違和感が生まれている作品と言えるかも。映画WSSは「ダンス」の中に「ドラマ」が入っていても違和感がなくて、帝劇エリザのように「ドラマ」の中に「ダンス」が入ると違和感が生まれる(トートvsルドのダンスバトルをイメージしてます)ことを思うと、「ドラマ」ベースに「ダンス」を組み込むのは結構難易度が高いのかもなとも思ったり。ちょっとこの辺りは例外もたくさんあるだろうし、引き続き考えますね。

ファクトリーガールズに話を戻します。

観劇しながら思ったのが、工員たちの労働の様子を描く「機械のように」だったり会社に抵抗する場面だったりで、歌+ダンスを客席に向かって「見せる」ショーアップされた場面が多いなということ。みんなで正面を向いて歌って、拳を突き上げて、スポットライトが当たって、曲がジャン!って終わるっていう流れを繰り返すのよ。そこに『1789』の「誰のために踊らされているか?」や『キングアーサー』の「Mon Combat(通称ダンダリ)」を感じたんですよね。仏ミュっぽさ。前奏がしっかりあって、感情よりかは楽曲そのもので盛り上がる側面が強くて、曲終わりには「キメ」があって、そして1曲1曲が独立している(悪く言うとぶつ切り)。

それなら、ファクガも台詞パートと歌パートのメリハリを激しくして、思い切って仏ミュっぽく「ダンス」や「ソング」に寄せても良いのかも?と思ったりもしました。でも、作品の内容や他の楽曲のことも考えると、やっぱりファクガは「ドラマ」をやろうとしてると思うんですよね。そこの部分のブレが上手くまとまったら、また一段と作品に磨きがかかる気がしています。

ちなみにショーアップされていない場面、ガールズがアカペラで歌う場面は、感情の流れそのままに歌が紡がれていくのが美しかったです。ショーアップされたナンバーも場面や楽曲自体は良かった分、勿体無いな〜と感じていました。

 

リプライズの美しさ

課題ばっかり書いてしまったけれど、「こんなにリプライズが上手くいっている作品は久しぶりに見た!」って思うくらい、リプライズが美しかったです。

前述のアビゲイルの死を受けて、彼女がメインで歌った「自由か死か」をガールズが歌い繋ぐ場面であったり、ハリエットが覚醒する時の「邪魔など〜させないわ〜」であったりには、感情を揺さぶられました。

あと、すごく良かったのが1幕終わりの楽曲の中での「機械のように」のリプライズ。かっこよくて痺れました。

初見で、拾いきれなかったリプライズもあったのかもな〜と思うので、CDが欲しくなってきます。

 

 

パフォーマンス面の感想

キャスト別感想

今作は登場人物が多いのだけれど、配役がハマっている分みんなのキャラが立っていて、それぞれがとても愛おしく感じられました

サラの求心力や皆に頼られる性質っていうのは、ちえさんが演じることによって説得力が生まれてくるし、彼女の声の柔らかさがサラの「太陽のようなあたたかさ」ともマッチしていて良かったです。ただ地声からファルセットに切り替わるときに声量が落ちてしまうのは気になりました。

ソニンのハリエットも良かったです〜。女性運動の先駆者として皆の憧れであるハリエットが「わきまえさせられる」展開が、他の作品で革命を率いてきたソニンが演じることによってより一層、もどかしくて悔しくなるので、ナイス配役だ〜と思いました。ハリエットが投資家たちに歯向かう場面で解放される「邪魔など〜させないわ〜」の絶唱には「待ってました!!」ってなりますね。あと2幕のバラード「ペーパードール」が繊細で美しくてとても素敵でした。

みりおんさんの堅実で熱いアビゲイル、かわいくてかっこいい平野綾ちゃんマーシャ、凜子さんヘプサベス、谷口さんグレイディーズ、能條さんフローリア、みんなみんな本当にハマり役だったな〜と思います。

それから、清水くるみちゃんと春風ひとみさんが演じるルーシーがとても良かった。清水くるみちゃんの「愛され力」の高さと春風さんのチャーミングさの相性の良さよ。

 

もっとロックしてほしい

英語のデモ音源を聴いたとき、本編で聴いたよりもだいぶ「ロックだな〜」と感じました。歴史上の出来事をロックで表現することの面白さは、登場人物の怒りや叫びをロックの音楽的な特性と重ね合わせることだと思うんですよね。だからこそ、もっとロック歌唱できたら良いのになと思います。

日本語は元々の音が柔らかいのでロック歌唱しにくいってのはあると思うけれど、全編を通して、感情を乗せ切らずにメロディ先行で歌う方が多かったので「もっと感情むき出しで歌ってほしい」と思う場面も多かったです。

 

色々と書きましたが、日本ミュージカル界は男性メインの作品を上演する傾向が強い中で、アミューズ ミュージカル部門の動きにはとても期待しています。新作もどんどん作ってほしいし、EMKの『フリーダ』とかも持ってきてくれないかな〜と思ってます。

 

アミューズ関連】

ファクガもマリー・キュリーもキンキーもみんな「工場」の話だね。今気づいた。