Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

『キンキーブーツ』という作品へ疑問と素晴らしい公演 (10/3 S) の感想

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前半に公演の感想、後半に『キンキーブーツ』という作品に対して私が感じている違和感や疑問の考察があります。読みたいところに飛んでみてください〜

公演の感想

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楽しかったな〜!!ローラやエンジェルズのスパンコールと宝塚のミラーボールからは似た成分が噴射されていると思う。あのきらめきを浴びると心が潤って背筋も伸びるよね。

城田ローラはでっっっっかい!圧倒的な存在感で輝いていました。踊りのキレはあんまりないのだけれど、歌が素晴らしかったです。声量もあって満足感もりもりでした。

翻訳ものの難点として1つ、和訳したジョークはなんとなくうまくいかないってのがあると個人的に思っているのだけれど、城田ローラの声色や台詞のスピード感、表情のバランスがいいのか自然に仕上がっていていました。めずらしくたくさん笑った😂

舞台上で縮尺がえらいことになってるので、ロンドンのクラブでローラがチャーリーにハグする場面、ちょうどチャーリーの顔面にローラの胸が押し当てられるんですよね。その絵面があまりにもカートゥーンっぽくて爆笑してしまいました。

小池チャーリーは城田ローラとのサイズ感の対比とご本人のお顔の幼さが相まって若僧感満載でした。学生生活終えたばっかりのまだまだ子どもっていう印象。後述の作品についてでチャーリーという役についてはあれこれ書くのだけれど、小池チャーリーはその幼さで結構毒気を抜いてくる。まだまだこれから変われるよって応援したくなるようなチャーリーでしたね。歌唱面は安定していて、ソロ曲の最後の伸ばしがキツそうだなってところでした。Soul of a Manは歌い切ってました。チャーリー楽曲って意外にハイトーンですよね。

ソニンローレン!!!ずっと楽しみにしてきたんです。最高でした。ブーツを作ることをロンドンに報告しに行ったとき、ローラに会った瞬間から目がキラキラしているところも工場にローラたちが来たとき誰よりも早く、奇妙な動きでリズムに乗り始めているところも、どの瞬間も愛おしすぎて困りました。そしてThe History of Wrong Guysは流石でした。ローレンが出ているとついついオペラグラスで追っちゃう、大変な視線泥棒でもありました。ブロンドもジーンズも似合いすぎる🥺💕

 

それから、遠山さんが大優勝してましたね。ラウンドガール?というのかな、In This Cornerでメインボーカルを張るのだけれど、その歌声がパワフル&正確無比でぶち上がりました。オーブ3階席は全編通してぼやぼや音響で歌詞の聴き取りは諦めていたのですが、遠山さんの歌声は3階席まで真っ直ぐ飛んでくるんですよね。彼は多分ブリリアをも制すると思います。

 

訳詞はかなり英語を混ぜたものになっていて、アップテンポかつ激しめの楽曲が多いのもあり、リスニングはかなり難しいです。おそらくアップテンポな曲では訳の段階から、歌詞を聴かせるという気はあまりないのだと思います。それでも作品としてかなり楽しめるものになっていると感じたので無理やり日本語に訳し尽くさないってのも1つの手なのかもしれません。歌い方についても、英語と日本語が入り混じる箇所では、日本語の部分も英語っぽい発音で歌っていたりしたのもそう感じた理由のひとつです。

 

キンキーブーツという作品への違和感と疑問

私の親KBは、マット・ヘンリーがローラ、キリアン・ドネリーがチャーリーを演じたWE公演の収録版。昨年の3月「松竹ブロードウェイシネマ」の作品 (WEなのにBW😂) として東劇で上映されたときに初めて見て、あまりの楽しさに何度もスクリーンに向けて拍手しそうになったし、映画館を出てからも友人とはしゃぎ回りながら帰った。シンディ・ローパーの楽曲も素晴らしかったので、家に帰って洋楽好きな父 (ミュージカルは嫌いではないが普段から進んでは見ない) におすすめしたところ、父も後日見に行ってくれて、しかもものすごく楽しんで帰って来たのも嬉しかった、そんな作品。

 

ただ、うまく説明できないのだけれどなんだかもやもやする部分もあって、その一部が今回の公演を通して少し紐解けたので、ここに書き残そうと思う。

 

1つ目は、今回の上演に際して変更が入った「Ladies, Gentlemen, and those who have yet to make up your minds.」( そしてまだどちらか決めかねているあなた) という台詞。

初見時には、今作の文脈から見て「別に決めなくてもよくない?そのまま受け入れてくれるんじゃないのかい?」という疑問があったので、変更があってよかったと思う。

変更後の「本当の自分を探し求めているあなた」ってのにもまだ違和感がないわけではないけれども。。。

 

2つ目は、脚本がチャーリーに甘くない?というもやもや。

ミラノ行きが迫る中、プロの女性モデルを起用すると言うチャーリーとエンジェルズたちに出演してもらうべきだと考えるローラは対立。口論の最中、チャーリーはローラ自身を否定するような言葉を捲し立てる。また彼は、工場の従業員たちに対しても、労うどころか高圧的な態度を取り始める。ここに来てチャーリーはマジョリティで権力を持つ側の人間なんだということを突きつけられる。小池チャーリーは幼さ全開なので今回の公演だと目立ちにくいけれど、ブーツは本来誰のためのものだったんだ?というローラに対して「You're not serious, you want me to gamble. My family's business, this building, my home, the very shirt on my back on a ramshackle bunch of broken down」と返して、家を守るという文脈の中でローラに怒鳴り始める。

このような発言を見ても、チャーリーのローラに対する発言は、追い詰める中で出てきてしまったというものでも、あえてローラを傷つけるためにというものだとも思えなくて、やはりチャーリー(=ヘテロセクシュアルの男性で家父長制の価値観の中にある人間)の内面に染み付いている差別や偏見が表面に出てきたと受け取ることができると思う。だとすれば劇中でチャーリーが自分の考えの誤りに「気が付く」場面が欲しいところだ。多分それにあたる場面はローレンの会話シーンなのかなと思う。父のような男になれないとSoul of a Manを熱唱したのち、落ち込んでいるチャーリーのところへローレンがやってきて自身の父が亡くなった時の話をしてくれる。そして「他人を受け入れなさい」というローラの言葉に心を入れ替えたドンがあなた(チャーリー)を受け入れて従業員たちを呼び戻してきたんだと教えてくれる。

こうしてチャーリーは救われるわけだが、ここであれ?となる。私がチャーリーに気がついて欲しかったことに彼は気がついたのだろうか?自分の発言がローラを傷つけたことや従業員たちに問題のある態度をとったという自覚はあるけれど、彼はどうにも内側に根付いた差別や偏見に向き合っていないように思うのは私だけか?彼は従業員たちに謝ることもない。ローラに対しては謝罪の電話を入れているけれど、自分の誤りに気がついたというような内容ではない。それなのにローラもミラノに駆けつけてチャーリーを助けてくれる。この状況を考えると、脚本がチャーリーというヘテロセクシュアルで悪き家父長の性質も持っている(WE公演では白人)の男性に甘いんじゃないかと思わされる。

 

3点目は2点目に関連して、ローラの役柄について権力を持つマジョリティ側の勝手な願望みたいなものを感じずにはいられない。

日本版ではローラの人種はわかりにくいけれど、これまでのキャスティングやLand of Lolaの歌詞を見てもおそらく黒人が演じることが想定された役。人種の話を除いたとしてもローラは確実にマイノリティ側の人間だと思う。

そして、チャーリーが内なる差別意識に向き合っていない (ように少なくとも私には見える) 中にあっても彼を助けにくるローラにはマジョリティの側が「好ましくあれ」と突きつけてくるようにも感じられなくはない。私自身はローラがミラノに現れるシーンは最高にかっこよくて楽しくて大好きではあるのだけれど、ずっともやもやしてきたところ。

 

4点目はまだ私の中でもやもやの正体を分析できていない部分。全編を通してどうしてあそこまで「本当の男らしさ」にこだわっているのかが私にはよくわからない。

「What I wanted to say was if anyone ever tries to tell you, you're something less than a man, then you have them see me. I'd being a man means being brave enough to take on the entire world, then you're the only man I've ever known.」

これはチャーリーがローラに入れた謝罪の電話の内容。作品が伝えるメインテーマは「Just be who you wanna be」そして「ありのままの他人を受け入れなさい」という内容だと私は考えている。そこと「君こそが本当の男なんだ」という発言はなんとなく相性が良くないような気がするのは私だけだろうか。父と息子の関係の中での「男らしさ」、有害な「男らしさ」を表すドンの成長という文脈で、それが重要なのもわかるけれど、話の着地点でローラにかける言葉として適切なのかわからない。

ローラはローラ、定義付けする必要なんてないはず。ここでもチャーリーが本質的に変わっていないように思われるところが見えてくる。やっぱりチャーリーの「気づき」の場面がもっとしっかりほしいところである。

 

誤解のないように書くと、私はキンキーブーツという作品は結構好きです。いつかドライヤーで髪をぶふぉーーーーってやりながら「チャーーーーリーーーー!!!」って歌うのが夢です。でも、最近読んだ本で、「好きであること」と「批判的な目で見ること」は両立するとの言葉を得たのでこんな感じで書いてみました。