Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

ミュージカル『東京ラブストーリー』作品について思うところと空キャスト12/2 Mの感想

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東京ラブストーリー』の漫画もドラマも何も見たことがない人間が書く感想です。多分長い文章になると思うので先に言っておくと、私は今作をキャストのパフォーマンスが良いので楽しめるけれど、作品としての出来はあんまり良くないと評価しています。解禁があったときから『東京ラブストーリー』という30年近く前に流行した作品をなぜ今、ミュージカル化するのかという大きな疑問がありましたがその答えについても私的にはわからず仕舞いでした。

作品・公演概要

ミュージカル『東京ラブストーリー ※初演
音楽: Jason Howland(ジェイソン・ハウランド)
脚本・歌詞: 佐藤万里
演出: 豊田めぐみ
劇場: 東京建物 Brillia HALL

作品に対して思うところ

日本オリジナルの初演作品ということで、ものすごく主観的な批評のようなものを目指して書いてみようかと思います。と書くと真面目に聞こえてしまうかもしれないけれどミュオタ2年目のど素人が書いているので悪しからず。文章もはちゃめちゃです。

あらすじ等はHPで

https://horipro-stage.jp/stage/love2022/

今作は何を描きたかったのか

多分「ラブストーリー」を描きたかったのだと思います。ただ、それを描くにあたり追加したであろうものには必要性が感じられず、むしろ描かれなかったところこそ丁寧に見せるべきだったんではないかなと個人的に思います。

「東京」という街をどう捉えるか

「東京」ラブストーリーと街の名を冠した作品なので、作り手が東京という街をどう捉えて、どう表現するのかを楽しみにしていましたが、その点では期待はずれ感が否めませんでした。

なぜ私が東京にこだわるかといえば、先日某音楽番組の「東京ソング特集」なるものを見た影響が大きいです。私自身は、東京23区外で生まれ育ったためか東京都心には憧れも日常も感じない中途半端な距離感にあるのですが、この特集を見て東京というモチーフを描く際のアーティストの緊張感を知り東京という街の特異性に気付かされると同時に、この街が作品内でどう描かれるのかに興味を持つようになりました。

そんなわけで、今作についても作り手が東京をどのような街と捉え、それを脚本、楽曲、演出でどう表していくのかが見たかったのですが、そういったこだわりはあまり感じられませんでした・・・

場面と楽曲から

今作では、東京が舞台であることを意識させるような場面が何箇所か出てくるので、その中からいくつか選んで感想を書いていきます。

まずは都心のビル群を背景に通勤風景を描く「この街で生きる」

この動画の3曲目!

複雑に交差しながら踊るアンサンブルの振り付けで、混雑した交差点や駅で人々がなぜかぶつかることなく上手くすれ違っていく様子と上手く流れに乗れない東京生活1ヶ月目のカンチを表現したり、学生時代には親の仕事を理由にいじめられた経験がある(とあとからわかる)さとみが「私のことを誰も知らない〜」と歌いながらアンサンブルに混ざっていることで、他人同士が集まる街としての東京とそこで生きる気楽さが表現されていたりします。プロローグが終わり、いよいよ物語が動き出す1曲目として舞台となる東京を表す楽曲が用意されていたのは嬉しかったのですが、「東京の通勤時間って本当にこんなに爽やかだろうか?」とも思わされました。「この街で何かを掴み取りたい」「この街で暮らすんだ」とアンサンブルが口をそろえて歌う様子に、なんだかやけに上昇志向が強い人たちが集まった街だなという印象を受けるというか。。ただこの時点では「皆が希望を胸に集まってくる街」というのが作り手が描きたい東京なんだなととりあえず受け入れて見ていました。

個人的には通勤時間帯の東京都心ってもっと、「急がなくちゃ」「眠い」「疲れた」みたいな雑多な感情が渦巻いていて、誰もが無表情、無言にも関わらず、無数の足音や車や電車の音で何処か騒々しいみたいなイメージがあるのでそういった表現も期待した部分がありますが。。。楽曲もそこまで複雑ではなかったので、東京の音ってそんなに爽やかでシンプルだろうか・・?とも思いました。加えて、2幕後半に登場する、今治の海岸のシーンでは静かな空間に響く波の音が印象的だったので、その場面との音の対比を出すためにも東京のシーンの音はこだわった方がよかったのではないかと素人ながら思いました。

リカが『リサーチに行こう!』とカンチを外に連れ出す場面の「この角を曲がれば」には、なんのリサーチをしに行ってどんな成果が出たのかよくわからないという意味で脚本と楽曲が統合されていない印象を受けましたが、それを置いておいても「東京ってほんとにこんな街か?」という疑問が大きくなりました。

稽古場の動画なので分かりにくいですが、場面が展開されるのは東京都心の公園です。平日昼間の都心ってこんなに働き盛りっぽい年齢層の人がたくさんいて、見知らぬ人同士が声を合わせて歌い踊る=交流するような場になっているんでしょうか・・・・。私自身は平日昼間に都心の公園に行く機会はないので、実際に確認できているわけではないですが、こんなにフレンドリーということはないんじゃないかなと思います。

もう1場面、さとみと三上がキスしているのを目撃してしまい落ち込むカンチをリカが元気づける「WA-HA-HA」(曲名合ってるかな?)では、舞台上の階段でホームレスが1人寝ているという状況でリカとカンチが歌います。そこに路上でダンスをしているヒップホップな若者が登場して一緒に踊ります。

私は、ホームレスのおじさんが寝ようとしているところで、リカがでっかい声で歌い始めたときに「これはおじさんに怒鳴られるぞ」と思ったし、ダンスチームが出てきた時には「今度こそ怒られるぞ」と思いましたが、むしろホームレスのおじさんは、若者たちのダンスにゆるゆる参加し始めます。

ここで私は「もしや、作り手は東京を深く考える気はなかったのではないか?」と考えるに至りました。私も勉強不足ではありますが、渋谷の宮下公園整備によってホームレスが行き場を失ったり、人が寝そべることを阻止するように突起が付いた公共ベンチが開発されていたりといった状況は話題になったかと思います。こういった現実を無視するように、現代の東京を描いた作品で特に掘り下げるわけでもないホームレスのおじさんを爽やかな音楽の乗せて踊らせることには私は疑問を覚えました。

また「この角を曲がれば」や「WA-HA-HA」でカンチはリカと過ごしたおかげで♪不思議だ〜世界が〜輝いて見える〜している訳なんですが、リカと距離感が近くなる前の「この街で生きる」との差があんまり際立っていないのも私的に気になりました。

私の東京に対するイメージと作品で描かれた東京の乖離による違和感は、私の個人的な問題なのかも知れないし、創作物なので現実をありままに写し取る必要はないかもしれませんが、同じ楽曲、同じ台詞、同じ演出のまま舞台を別の地に置き換えたとしても成立するような場面が多くなってしまっていたのはせっかく具体的な舞台設定をしたのに勿体無いと感じました。他の楽曲について考えたときにも歌詞の具体性のなさというのが気になったので、私がこの作品を考える上で「具体性のなさ」というのは1つキーワードになりそうです。

三上の台詞から

タイトルに地名が入っているからといって、描きたいものがそれが起こる「場」に関係ないのならば、今作で言えば作り手が描きたいのはあくまでラブストーリーの方であって、それが起こるのは別に東京じゃなくたっていい、大阪だっていい、札幌だっていいというのなら「場」の描き込みは必要なくなってくると思います。

しかし今作では、2幕以降に三上の台詞で「リカ=東京、さとみ=今治」という関係が明確にされていきます。うろ覚えだけれど「リカは東京そのものだ。わがままで気まぐれで、それでいて魅力的だ」といった台詞やお前(カンチ)は今も今治が大好きでさとみが好きみたいな話もあったように思います。

リカ=東京として、作り手がメインで描きたい(であろう)ラブストーリーに東京という「場」を絡めるのならば、1幕の時点で「わがままで気まぐれで、それでいて魅力的な」東京を描き出しておくべきだったと思います。反対にリカというキャラクターにもっと作り手の思う東京を詰め込むのもいいかもしれません。現状、リカを見て東京そのものだとは思えないし、描かれた東京にリカを見出すことも難しいです。

ジンバブエの伝説

ジンバブエに住んでいたことがあるリカが、ジンバブエでは誰もが知っている話として語って聞かせる王女と王子の話があります。この話はどうやら原作にはないらしく、ミュージカル化にあたって追加されたようなのですが、私的にはあんまり必要性を感じませんでした。

話の内容は、ある王女が記憶を無くした王子と愛を誓い合うというものです。

この王女と王子はダンサーとして舞台に登場します。今作には無音(というかオケの練習音が聴こえている)状態でのプレショーが2回あり、赤い衣装を纏った女性が踊ります。本編が始まって1曲目は、赤い女性と青い男性によるダンスシーンで、プレショーの女性は2人で踊る振付を1人で踊っていたことがわかります。

M1は動画の1曲目↓ 次の曲「願いの星」では、カンチがこの伝説とそれを語ったリカに思いを馳せています。この場面のカンチはリカと別れた後で彼女との思い出を回想しているわけですが、真っ先に思い浮かぶ思い出がジンバブエの伝説なのか・・・、そうかい。。と思ってしまった部分は

あります。伝説の内容は意外性があるわけでもないので、もっと他に思い返すべきことはあるんじゃない?と思っちゃいました。

伝説について、本編のストーリーについて詳しい説明がなされるのは2幕冒頭のリカがカンチ宅で彼の誕生日を祝う場面です。リカがカンチがさとみと抱き合っているのを目撃し(実際は三上の浮気現場を目撃したさとみが傷ついて泣いており、カンチは胸を貸している状態←抱きつく方も剥がさない方もどうかと思うよ😇)、悲しみながら「24時間の愛」を歌った1幕終わりに続く場面で、約束に遅れてきたカンチに理由を尋ねると「仕事」と返されたリカは内心傷つきながらも何も気づいていないフリをして誕生日を祝い、伝説の話をします。この場面の後、リカは「アメリカに行く」と告げカンチの元を去ります。

その後伝説の話は2幕の終わりに出てきます。今治の海を前にカンチがリカに別れを告げる場面で、リカはカンチとの恋の結末はわかっていたと告げ、伝説には続きがあると語り始めます。王子には記憶を失う前に既に恋人がいて、記憶を取り戻した王子は王女に別れを告げて恋人の元に戻る。王女は王子の幸せを1人、星に祈り続けるというものです。

これで、伝説が登場するシーンは大体挙げられたかと思います。今作のストーリー展開的にはリカが王女、カンチが王子、恋人がさとみに重ねられていて、リカはカンチとの恋がうまくいかないことをこの伝説から悟っていたようです。もしかしたら、別れの悲しみを見せないために伝説の続きをでっち上げたのかもしれませんがどちらかは分かりません。あとは伝説通りに恋愛関係が展開するならばリカが今後の人生でカンチのことを思い続けるであろうと読み取れます。私的には、カンチはさとみのことがずっと好きだとリカがわかっていた、とわかってもそれに対して脚本上の面白さを感じなかったので、この重ね合わせが狙ったところは私にはわかりませんでした。。。また私は、リカはカンチから解放されてほしいと思っているのでこの伝説があることによって本編後のリカがカンチを思い続けていると定められてしまうのが嫌です。本当に個人的な想いですけど。作品のストーリーに直接関わる部分以外は描きこまれすぎていない方が楽しかったりします。

作り手がこの伝説を作品に組み込むことで何を狙ったのかというの考えてみると・・もしかしたら現代の東京という観客にとって身近すぎるモチーフをミュージカルと直結させることに不安を感じて、両者をつなぐ緩衝材的役割を担わせようとしたのかもしれないと思います。そう考えるとオープニングナンバーを王女と王子のダンスにすることでファンタジックな世界を全面に押し出した理由もなんとなくわかります。わかりますが、そのような緩衝材がなくともミュージカルで現代の東京を描き出す道はあったんではないかと私は思ってしまいます。全て私が劇場で感じたものから考えたことなので実情は知りませんがね。

今治タオルストーリー

というパワーワードが初日から錬成されて話題になっていましたね😂 いくつか観劇前にレポを読んでいて、今治タオルは原作には出てこない、カンチが今治タオルのプレゼンをするブイドイ的楽曲があるとの話は知っていましたが、そのプレゼンソングがまさか2幕後半、物語のクライマックスになっているとは思いもよりませんでした!!!!!東京の描き込みが足りないとか伝説の話は必要なのかとか考えながらも、でも「ラブストーリー」を主軸にしたいんだろうな〜と思いながら見ていたら、この場面で全部今治タオルに持っていかれるので、え?何を描きたかったの???と大混乱してしまいました。

タオル周り(タオル周り!)のストーリーはこんな感じ

カンチの勤め先は今治タオルの会社で東京に赴任してきて1ヶ月目という設定。リカも同じ会社で働いていて、都心から少し離れた宿泊施設の仕事を一緒に任される。会社の経営状況は厳しいようでその施設の仕事はなんとしても取りたいが、大手タオルメーカーも同じ仕事を狙っていてもっと安い提案をしていてピンチ!心が挫けそうになるカンチだったけれど、バッタリ会ったさとみからもらったアドバイスに着想を得て、提案価格はそのまま今治タオルの品質の高さとそれを支える職人を大切にしたいというプレゼンをして宿泊施設の社長の心を掴み、契約できることに。この成功を1番に伝えたいとカンチが走った先にはさとみがいてってところです。(私的には一緒にプロジェクトを進めていたリカに報告に行くんじゃないんかーい!となりました。)

展開に意外性があるわけではないけれどタオル周りのストーリーは具体的かつとてもしっかりしているがために、作り手が前に押し出したいと考えていたであろうラブストーリーよりも全面に出てきてしまって「今治タオルストーリー」と呼ばれるに至ったのかもしれません。

プレゼンシーンでは、カンチが「清らかな水〜」と今治タオルの魅力や職人さんたちの素晴らしさを歌ってくれます。背景には今治タオルのプロモーションビデオのようなものが流れます。なるほど、説明×映像という意味でブイドイ的ではありますが、ブイドイはあくまで説明<感情になっているのに対して、タオルプレゼン曲は説明>感情になっていて「プレゼンソング!」という強烈な印象を残したのかもしれません。友人と私は「プレゼンは始まったタイミングで照明落として、次の場面で走り込んできたカンチがさとみに結果報告すれば良いんでは?」という話になりましたし、作品が話題になる要因となったと考えれば成功かもしれないし、プレゼンソングはあってよかったのかなくてもよかったのか私にはわかりませんでした。ただ珍しいやら面白いやらで困惑はしました😂

ストーリー展開への違和感

元々恋愛がメインテーマの作品は苦手なものが多いってのもあるとは思いますが、登場人物たちの言動があまりにも理解出来なさすぎて、特に2幕後半から今治3人組に対して嫌悪感を抱くようになってしまいました。

同時進行で2人が好きなの?×3

リカはカンチが好きと一貫性があるのに対して、他3人はそれぞれが同時進行で2人に対して恋愛感情を抱いているんですね。カンチは高校生の頃からさとみが好きだけれどリカを愛した気持ちは本物だとか言うし、三上もずっとさとみに片想いしてきたし他は遊びだと言いながらさとみが手に入ったら一瞬で尚子に乗り換えるし、さとみもあんなに三上くん大好きだったのに、まあ三上が浮気したから別れるのは当然にしても、すぐにカンチにラブってのもな・・どうなんですか?という。母に聞いたところによると、ドラマや漫画ではさとみは三上のことが好きなままだけれど安パイでカンチとくっつくみたいなことになっているらしく、その方が理解できるなと思いました。ミュ版ではさとみは三上に対してなんの心残りもなさそうなので、「え、切り替え早すぎる」と困惑しました。

3人それぞれが2人ずつに対して恋愛感情を持つとしても、その2つの恋愛感情の性質の違いをしっかり示してもらえたらもう少し理解できたかなとも思います。こんなこと台詞で説明したら野暮なこと極まりないですが、折角音楽という表現手段があるのだから、やろうと思えばもっと観客に彼らの気持ちを伝えられたのではないかと思います。そんなこんなで最終的にカンチとさとみ、三上と尚子がくっついて楽しげに歌っている姿に違和感と嫌悪感が湧いてきてしまいました。

2時間半にまとめる難しさもあるかも

結果的に、それぞれのキャラクターの恋愛に対する切実さ感じられないので、そんな相手がころころ変わるような浅い思いを歌に乗せて歌われたとて。。と思ってしまったのが正直なところです。この話を母にしたところ、他媒体ではそこまでころころ変わるという印象はないし、舞台で2時間半に収めることによって唐突に好きな人が変わる違和感が生まれているのかもしれないねという話にはなりました。確かに漫画やドラマであればもう少し丁寧にキャラクターの心情の変化や葛藤を描けるのかもしれないし、次の掲載まで次の放送日まで、展開を予想しながら鑑賞者が待つ時間もあることを考えると、突然相手が変わることによる嫌悪感みたいなものはないのかなとも思います。そういう意味では、既存作品を「1本の舞台にまとめる」ことの難しさが色濃く出てしまったとも考えられるかもしれません。でも、わかりません。私が恋愛嫌いなのにロマンチストだからやたら気になっているだけかもしれません。

リカ=東京を勘違いしたままの愚かなカンチ

加えて「東京はどんな街なのか」問題にも関係してくるのですが、リカ=東京、さとみ=今治と台詞で明示する割にはカンチが結局さとみ=今治を選ぶ理由を描ききれていないのも結末の違和感に繋がっていると思います。リカ=東京は「わがままで気まぐれでそれでいて魅力的」で、それに振り回されるのが嫌になってさとみ=今治を選ぶにしても、カンチがリカの「わがままで気まぐれ」なところに心から苦しめられたシーンがないように思うのですが。序盤は振り回されながらも楽しんでいるし、リカが突然消えたことについてはカンチがリカの思いを踏みにじったことに理由があります。カンチはリカが消えたことを彼女のわがままや気まぐれだと本気で思っているならば、カンチはリカ=東京を全く理解していないことになるし、わかっていないまま「やっぱりさとみ=今治がいいんだ」となるカンチは相当愚かな存在です。今作が描きたかったのは、東京への憧れや恐れ、コンプレックスを抱えた若者が結局、東京への勘違いを深めて、田舎がやっぱり良かったわってなる様子ということなのでしょうか。だとすればカンチはさとみと一緒に今治に帰った方が筋がすっきりしそうなものですが。。本編の結末的には、東京でやっていくのは疲れるけれど田舎の女がそばにいれば両方の良いとこ取りできるからokってところに落ち着いたように見えて、なんだかすごく安直な感じがしました・・・

ちょっと意地悪な書き方をしてしまったかもしれません。作品を見る限り、作り手は「ラブストーリー」に焦点を当てたかったのだろうと思われますが、そうならば「リカとは、東京とは」ってのを無理やり捻じ込まずラブストーリーを描くことを徹底すればよかったのではないかと思います。

楽曲について

印象的な場面と楽曲

やっぱり東京の空気感を映し取ったような楽曲がほしかったなというのと、タオルプレゼンソングの話は書いたので他のところを。

リカとさとみのパッキングデュエット

カンチがさとみと抱き合っていたのを目撃したリカは東京を離れるために、三上が尚子に迫っているのを目撃したさとみは同棲中の家から出ていくためにそれぞれ荷物をまとめながらデュエットします。舞台上の構図的にはハミルトンのDear Theodosiaみたい。上手ではさとみ、下手ではリカが全く系統の違う服を詰めながら、誰が好きなのかよくわからないふらふらした男たちを捨て置いて、2人が新しい1歩を踏み出す決意を歌う場面で素敵でした。もうそのまま帰ってこなくていいと思う。あんな人たち忘れて2人とも楽しく生きてくださいな。この曲、歌唱動画ないんですよ😢 今作にはカンチと三上の男男デュエットもあるのですが、こちらはあまり印象に残りませんでした。2人の声質の相性が良くて楽しく聴いた覚えはあるのですが、何を歌っていたかな・・・カンチはさとみ、三上は尚子に心を決めるあたりの楽曲なのでもだもだした恋心を歌っていたような気がします(カンチと三上に当たり強くてすみません😂)

疑心暗鬼ざわざわソング

さとみが体調を崩して三上が働いている病院に入院しており、カンチとリカがお見舞いに訪れるというシーン。

リカ⇨かんちが今治名物のみかんジュースのみかんちゃんをリカが知らないうちに購入し、さとみへの見舞いとして渡して2人で盛り上がっていることに対する疎外感と嫉妬

カンチ⇨さとみの表情が晴れないから心配

三上⇨さとみが普段三上に見せないような笑顔をカンチに見せているような気がする

さとみ⇨三上が尚子にやたら突っかかるのが気になる、不安

尚子⇨やたら突っかかってくる三上のことが嫌いなはずなのに気になるような気もする

といった感じでそれぞれが心をざわつかせながら歌う楽曲があります。こういった全く別のことを考えているけれど、不安であるという意味では同じ状況にある人々が思い思いのフレーズを歌いながら1つの曲を形作るような場面はとても好きです。楽曲的にも全編通して最も複雑だったかなと思います。ただこちらも動画がない😢

尚子のソロ曲

親の決めた相手と結婚することが決まっている尚子が、本当にそれでいいのかと思い悩む楽曲。これまでの人生を全て親に決められてきたという歌詞の中に「親の選んだ友達と遊んできた」みたいな箇所があってそこが強く印象に残りました。親の選んだ結婚相手みたいなのは、他のフィクションでも良く耳にするけれど、友達まで親が選んでいるとなると相当なレベルで自由がないと思います。その1フレーズで尚子というキャラクターの解像度が上がりました。しかも曲終わりに、尚子は三上の家に押しかけて、抱かれて、それじゃあ親の決めた相手と結婚してきますといって三上のもとを去ります。この尚子の思考はなかなかぶっ飛んでいるものの、友達まで親に選ばれていた人間の初めての抵抗だと思うとかっこよく見えました。

56人の女たち

三上の過去の彼女の人数をカンチが質問すると回答として歌われるのがこの楽曲。面白いなと思ったのですが、カンチとの会話の流れが続いているのに三上だけが歌い続けていてカンチ役者が1曲分丸まる無音で受けの演技をしなくちゃいけないのが気になってしまいました。間奏部分で台詞を挟むとか、三上のみのシーンにするなら、直前のカンチがリカに三上の話をする場面でカンチのイメージするところの三上って感じで曲を入れるとかだったらもう少し違和感がなかったかもなと思ったりしました。

24時間の愛

玲奈ちゃんが歌うと歌唱スタイルも相まって重いラブソングになっていてよかったです。ずっしり聞き応えがありました。リカはなんでそんなにカンチのことが好きなんだろうか。そこだけはわからないけれど。なんか猛烈に好きってことはわかります。歌唱力に押し切られる。

現代のラブソングには具体性が求められるのかも

今作を見ていて、楽曲の、中でも特に恋心を歌ったような楽曲があまり印象に残らないな〜と思いました。

私はもともと恋愛がメインテーマなった作品は得意ではないのですが、例外的に『The Last Five Years』が好きです。とうらぶとは現代を舞台にして男女間の恋愛関係をメインテーマにしているという共通点があるので、2つの作品の楽曲にある違いを考えてみた時に、歌詞の具体性の差があるのではないかと思いました。

L5Yの楽曲には好きな歌詞がたくさんあります。例えば、I Can Do Better Than Thatの中の"you don't have to eat prosciutto"のところであったり、A Summer in Ohioの"But it wouldn't be as awful As a summer in Ohio. Without cable, hot water Vietnamese food or you"のところであったり、具体的すぎるほど具体的だからこそキャシーのジェイミーに対する愛情がどんなものなのかよくわかる、そんな歌詞がたくさんあります。

対して、今作では具体的なエピソードや単語を避けて普遍性のある言葉選びがされているようです。それゆえに各キャラクターが相手のどのようなところが好きで、どんなふうに好きなのかが見えづらく、曖昧にもやっと「好き」という想いだけが届くので印象に残らないのかもしれないと感じました。

現代における恋愛はとても個人的なものだと思うので、それを抽象度の高い言葉や普遍性のある言葉で描くとどこかぼやっとしてしまうみたいな感覚が私の中にはあります。この話は私の中でも考えがまとまっていないのでこれで終わり。

映像の使い方や美術について

今作では、舞台奥のスクリーンにビル街や公園を映し出して背景にしています。

「この街で生きる」では通勤風景の背景として、都会のビル群の画像を写しているのですがそのバリエーションは3種類くらいあって曲中に切り替わるのがものすごく気になりました。説明しづらいけれど、その曲の中で動いている人たちが場所を移動したというわけではないので、背景をぱっと切り替えてしまうのってどうなんでしょう、という。

映像背景は一気に場面をリアルに描きこめるため見栄えはいい。ただあまりにも具体的になると観客の想像力を抑え込んでしまうような部分もあると思うので結構慎重に使わないと・・みたいなところもありますね。

それから、同じく映像背景を使った「この角を曲がれば」では、ビル群に囲まれた公園とそこにある噴水が映し出されているのですが、その噴水の映像の前に噴水の立体セットが置かれているのがとても奇妙でした。

違和感があったところばかり書いてしまいましたが、今治の海辺のシーンはセットや演出含めて美しくて好きでした。照明で舞台手前側に波を映し出していてそこに海の波の音が聴こえてくるのが心地よかったです〜

そういえばここの場面、星が似顔絵になってるって書いている方がいらしたんですがほんとですか?私は目撃していないし、元ツイートも見つからないのですが、私が夢の中で錬成した?

キャスト&キャラクター中心感想

メインキャストはみんないい感じでした。特に玲奈柿がかわいい。役としてはリカだけが推せる。

柿澤カンチ

柿カンチは爽やかさとおどおど感のバランスが良きです。ずっとリュックの肩紐を強く握りしめているのが無意識に身を守っているようで、その仕草に都会への不安や小心者とも言える彼の性格がぎゅっと詰め込まれているな〜と思います。

それから柿カンチはどこまでが予定されていてどこからが柿澤さんオリジナルかはわからないんですけど、台詞の言い方やちょっとした動作によって笑いを誘うような場面が多くて、私は楽しかったです。ちなみに一緒に見た友人は、海キャスト回を事前に見ていたのですが、特に笑いが起こることはなかったとのことなので空キャスト特有なのかなと思います。三上とさとみがキスしているのを目撃してしまう場面でクソデカボイスで「えーーーーーーー!」と叫んだかと思ったら「でも、こうなる気はしてたんだよ」と言いながら舞台の端に移動して、うずくまって舞台の縁をいじくり始めたり、今治タオルのプレゼンが成功した後に、セットの棚に綺麗に積んであったタオルを突然引っつかんで涙を拭いはじめて社員役の方々を困惑させていたり。カンチとリカ、カンチと三上の会話シーンは台詞回しのテンポ感が早くて、実際に仲の良い人たちが話すように自然で、アドリブと台詞の繋ぎ目がわからずナチュラルです。

カンチ宅での誕生日パーティのシーンで柿カンチが実際に焼き鳥的なものを食べているんですけど、台詞を言ったときに食べていたものが口からちょっと飛び出したみたいでそれを見た玲奈リカがなんでもないみたいに「なんか出たよ〜」って言って、柿カンチが「ちょっと出ちゃった、失礼しました〜」ってプチハプニングを拾い上げつつさらっと続いたのがじわじわ面白かったですね。

あとは東京タワーでカンチと三上がお互いにやつれていることを指摘し合う場面で、サッカーの試合見ちゃって寝不足の話入れてましたね。ちょうどこの日の朝、日本代表がスペインに勝って決勝トーナメント進出を決めたんですよ(私は見てないけど😂) 私的には現実世界と舞台の世界は切り離したいのでこっちタイプのアドリブはあんまり好きじゃないです。。でも何よりもこういったアドリブが出た際にここぞとばかりに拍手が起こるのが苦手だったりします。アドリブあるにしてもクスッと笑うくらいで流す方が素敵じゃない?

柿カンチ、歌唱面も良かったです!初演キャストということもあってか音域がぴったりだったのと、高音で伸ばす箇所がたくさんあって聞き応えありました〜✨そうそう、オケの音が少し大きめでそれに負けないようにか、全体にキャストのマイク音量が大きいらしく玲奈ちゃんや柿澤さんが歌うと元々声量がある分音量がでっかくなっててちょっと笑いました。嫌な感じではなかったけれど、声でかって

 

カンチというキャラクターについては、悪い人ではないんだろうけど2幕が進むにつれてどんどん苦手度合いがどんどん上がっていって😂って感じでした。「さとみのことが高校の時からずっと好きだった」と言いつつも「リカのことも心から愛してた」みたいなことを言い始めるので🙄????どっちも好きだった時期あるってことよね?え、苦手🙄 私ロマンチストなので、そんなふらふら悩むくらいなら本気で好きと言えないんじゃないすかね知らないすけど。

 

玲奈リカ

事前情報で「リカはやべぇ奴だ」って書かれているのを何度も見たのですが、むしろ私は「リカ以外の3人がやべぇ奴すぎる」と思いました。確かに登場の瞬間からカンチのことが大好きな様子でぐいぐい行くので、彼女がカンチを好きになったきっかけや理由がわからないという意味で少し困惑しましたが、その後の感情や行動はどのキャラクターよりも理解できました。同郷出身者再会の飲み会に凸するとこは怖いけれども

 

それを踏まえたとしても私的にリカへの好感度は高いです。そもそも演じている玲奈ちゃんのことが好きってことや普段からなんでも包み隠さず話す、明け透けな人が好きで、自分もそうあるよう心がけているし、周りにもそういう人が多いということは理由として考えられます。

もう1つこれは帰宅後に、漫画にもドラマにもリアルタイムで触れていて、ミュージカル版は見ていない母と話していて考えたことなのですが、漫画やドラマがヒットした当時はリカのように自分の意見をズバズバ言うような女性は少なくて先進的が故に異常と見做されるみたいなところもあったかもしれないが、時代が変わることでむしろリカの姿勢の方がしっくりくるとういう状況になった可能性もあるなと思いました。ミュ版では、リカが会社で自分の意見や感情をはっきり言葉にすると他の社員から疎まれるという描写があります。こういったシーンが多媒体にあるかは不明ですが、30年前と今とではリカの言動の受け取られ方はまた違ってくるのかもしれません。

 

玲奈ちゃんリカは、華やかで活発なところに加えて「自分の気持ちは全部表に出す!」って決めて生きているようなところが素敵でした。ほんと二枚舌のカンチなんかには勿体無いくらい素敵な人なので、本編の結末には不満がありつつも、でもカンチたちから解放されてくれて良かったとも思います。カンチと別れる際の「やっぱり、離れたくなーーーーーい」みたいなハグが猛烈に可愛くてほんとカンチには勿体無い人だよ。。。。1幕ラストの「24時間の恋」は稽古場動画で聴いたときから「玲奈ちゃんの絶唱やべえかっこいいぞ😳」と期待値を高めてきたのですが、やっぱり好きでした。私がミュオタになったのが2021年なので、玲奈ちゃんが絶唱する役というのにはまだ出会っていなかったんですよね。

 

廣瀬くんの三上もねねちゃんのさとみも良かったんですけど、ほんといかんせん役の言動がわけわからんすぎて。。。恋愛ってあんな感じなんですかね、よくわからないです。綺咲愛里ちゃんの尚子も良かったです。みなさんミュージカルの見せ方が上手いのでその点では安心してみられる作品でした。ただ部長役の高島さんは舞台に適した発声ができていない感じで、台詞も歌もうーんってところでした。

 

何か思い出したら追加するかもしれませんが、一旦こんなところで公開します。

毎度長文感想を書くたびに思うのですが、ここまで到達してくれた方はいらっしやるのだろうか・・・。リンクなどもあるとはいえ1万4000文字あります。お付き合いありがとうございました。