Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

連続する最悪の父子関係『ルードヴィヒ〜Beethoven The Piano〜』11/1 S 感想

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韓国発のミュージカルはまだ、日本語版を数作、原語の映像収録版を数作見ただけなんですけど、少人数の演者で感情を煮詰めて膨大な熱量を生み出すような作品が多い気がします。そして私は感情をびったんびったん投げ回される作品が好きなので多分相性が良い☺️

ルードヴィヒでは、感情そのものを投げ回されることはなかったのですが、考えたい要素を膨大なエネルギーで投げつけられるとにかくエネルギッシュな作品で、観劇にもとてもエネルギーを使いました。観劇後はどっと疲れが押し寄せてきました。楽しかったです。

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あらすじ

2018年初演と比較的新しめの作品で、あらすじが読めるサイトが少なそうなので公式サイトから引用しておきます。

残り少ない人生を前に書かれたベートーベンの1通の手紙。そして、その手紙が一人の女性の元へ届く。聴力を失い絶望の中、青年ルードヴィヒが死と向き合っていたまさにその夜。吹きすさぶ嵐の音と共に見知らぬ女性マリーが幼い少年ウォルターを連れて現れる。

マリーは全てが終わったと思っていた彼に、また別の世界の扉を開けて去っていく。新しい世界で、新たな出会いに向き合おうとするルードヴィヒ。

しかしこの全ては、また新たな悲劇の始まりになるが…。

 

ここから感想に入りますが、ネタバレありでストーリーをほとんど書いてしまっているので観劇予定の方はお気をつけください。

作品内容についての感想

父と子の物語

父-ルードヴィヒ-カールの関係

物語の主軸は

・ルードヴィヒと父の関係

・難聴の苦しみからの解放

・ウォルターの死

・ルードヴィヒと甥のカールの関係

声を荒げながら恐怖で人を支配する父の下でピアノの練習をしてきたルードヴィヒは音楽家として成功を収めますが、突如難聴となったことで絶望します。そこに保護者を失ったマリーとウォルターの姉弟が訪れ、「ウォルターは才能があるからピアノを教えてほしい。ベートーベンにピアノを教えてもらえなければ、ウォルターはイギリスの親戚の元へ行かなくてはならないと裁判所の判決が下っている」と告げますが、余裕がないルードヴィヒはその頼みを断ります。結局イギリスに渡ることになったウォルターは海難事故で命を落としてしまい、その事実はルードヴィヒの元を訪れたマリーによって告げられますが、彼は自分のせいではないはずだと主張します。音楽面では、自分の中に既に音楽が「在る」ことに気がついたルードヴィヒは次第に活気を取り戻していきます。

月日が経ち、甥のカールがルードヴィヒを訪れてくると彼はカールに「ウォルター」と間違えて抱き締めます。ルードヴィヒはカールを養子にし、ベートーベンの後継を育てるべく期待の言葉と共にレッスンを施しますが、カールは自分に才能はないと感じており音楽に関わりたくないと思っています。マリーが再び彼の家を訪れ、2人が話をしているのを聞いたカールは自分がウォルターの身代わりとして人生を背負わされていることに気が付きます。カールの気持ちを理解したマリーはルードヴィヒを説得しようと試みますが彼は聞く耳を持たず、ルードヴィヒが第九の完成に歓喜している最中にカールは自殺してしまいます。

(韓国ミュにおけるウォルターには死のイメージしかない。「殺したウォルターの首〜」『フランケンシュタイン』参照)

 

父→ルードヴィヒルードヴィヒ→カールの父子関係の描き方がとても面白い作品です。

父は「もっと早く」「違う」と怒号を浴びせながらルードヴィヒにレッスンを強要したのに対して、ルードヴィヒはカールに期待の言葉をかけ続けることでレッスンを強要します。練習に身が入らない(本当は音楽をやりたくないので)様子のカールを見て「目標がないからスランプに陥ってしまうんだ」と勝手にカールの演奏会を取り付けてきてポスターまで制作させてしまう始末です。

2人の「父」がかけた言葉は正反対でありルードヴィヒは父を反面教師にしたようにも見えますが、結果的に「子」に苦痛をもたらしてしまうのがとても面白いです。

レッスンの強要による苦痛という点ではルードヴィヒとカールの苦しみは似ていますが、カールは音楽に価値を見出さないのに対し、ルードヴィヒにとっては音楽が全てです。今の音楽家ベートーベンを築いたのは強要されたレッスンであることを理解しているため、カールがレッスンから逃れようとする気持ちは彼には全くわかりません。カールは練習をしたくない、ピアノから離れたいという態度を表に出しますが、ルードヴィヒは聞く耳を持たないだけでなく、見てそれを察することもありません。聞く耳を持たない様子が失った聴覚を意識させるのと同時に、目で見る力までも失っているかのように思えてきます。

また、ルードヴィヒはカールをウォルターに重ねるだけでなく、『ベートーベンを継ぐもの』に仕上げようと必死になります。ルードヴィヒがカールを引き取ろうと思ったきっかけはウォルターに対する罪悪感であり、カールの母親が(ルードヴィヒの言い分によれば)だらしのない人であったこともあって、観客の目にはルードヴィヒがカールを保護したように映ります。しかし、彼はカールを養子にし、カールが母親に会うことや自身を「叔父さん」と呼ぶことを嫌がります。段々とルードヴィヒが「子」に「ベートーベン」を継承させようとしているのが浮かび上がってくるのがグロテスクでした。子を成すことによって自分を永遠のものにしようとする気持ち悪さというか、とにかくグロテスクでした。(褒めてます)

3人の演者によりかわるがわる演じられる親子関係

死の間際に手紙を書いたルードヴィヒを福士さん、青年時代のルードヴィヒを中村さん、幼少時代のルードヴィヒを子役の高畑さんが主に演じていて、この配役が入れ替わる瞬間があるのがとても面白いです。冒頭、幼いルードヴィヒ(子役の高畑)が声楽家の父(福士)に怒声を浴びせられながらピアノのレッスンをさせられている場面がありますが、この時を振り返って語っているのは壮年のルードヴィヒ=福士さんなので、一時的に立場が入れ替わり幼いルードヴィヒ(福士)が声楽家の父(高畑)に罵倒されるシーンがあります。こういった仕掛けは舞台ならではだと思うので胸が高鳴りました!

他にも、ルードヴィヒが静けさの中で自身の中にある音楽を見つけるシーンとった、地面に膝をつく青年のルードヴィヒ(中村)と後ろに立つ壮年のルードヴィヒ(福士)の構図をルードヴィヒとカールの対立場面で地に膝をつくカール(福士)と後ろに立つ中年のルードヴィヒ(中村)といったように再現するシーンがあったりします。配役や立場を入れ替えることで異様な父子関係が連鎖している気味の悪さが際立ちます。(好きです)

次世代の音楽家、演技をするピアニスト

やっきになって第2のベートーベンを生み出そうとするルードヴィヒですが、作品終盤に彼の元を訪れるある青年が素晴らしい才を持つことを知り、次世代の音楽は自分の預かり知らぬところで既に生まれていたと案外すんなり認めてしまいます。カールかわいそうすぎるんだが?

ちなみにその青年は、作品の冒頭でルードヴィヒの書いた手紙を修道院にいるマリーに届ける役割をになっています。そしてマリーがルードヴィヒの曲を演奏するよう頼んだため、修道院にあるピアノを演奏し始めます。このピアノは本物で、青年役を演じていた木暮さんがそのままピアニストとしてバンドメンバーに入ります。1人の演者が役者とピアニストを務めるというのは珍しく、とんでもないことが目の前で起きているぞ!?となりました。

うまく説明できているかわからないので、よくわからなかった方は晴香ちゃんのインスタ読んでください↓↓↓

ちなみにこの青年はシューベルトであることが明かされます。観客はシューベルトの演奏でベートーベンの人生を振り返っていたことになるわけです。

マリーという女性の描かれ方

ウォルターと共にルードヴィヒの元を訪れたマリーは建築家になることを夢見ています。当時の社会では女性が建築家になることはほぼ不可能でしたが、彼女はそんな状況においても諦めず夢を追いかけており、ウォルターの死後は男装をして世界中の街を見て周ります。彼女は田舎に住む兄の名義を使って活動しており、博覧会で作品が展示されるなど建築家としての道を着実に歩み始めていて、そんな時にルードヴィヒの家を久しぶりに訪れます。

マリーは女性であるというだけで社会的に認められない世界において、自ら道を切り開いていく逞しい女性として描かれており、女性の姿では1人で旅をすることなど危険で到底できないことや女性の姿では立ち入れない世界があることを非難する心強い存在です。

ルードヴィヒはマリーとの再会を喜びつつも、彼女の来訪がカールの反抗心を高めたことへの怒りからか、マリーが周囲の人を欺いていることを非難します。これに対しマリーは「確かに私は人々を欺いているが、それは私は戦う準備ができているのに馬鹿な男たちがそうではないからだ」と発言します。私はこの場面がとても好きでした。

それなのに、彼女は博覧会に女性の姿で向かい入場することすらできず、建築家としての道を諦めることになります。修道女として次の世代の女性たちに教育を施す立場になり、彼女はその人生に満足しているようでしたが、先の場面が素晴らしかっただけに展開にもやっとしてしまいました。彼女はルードヴィヒの言葉になんて耳を貸す必要はなかった。男装して入場して人々に実力を知らしめてから女であることを明かせばよかったじゃないかと思ってしまいます。。。。父子関係は煮詰めるのに夢中になってマリーの話は少々適当という印象を受けなくはなかったです。

ただこれを書きながら、ルードヴィヒもマリーも自分の世代よりも後の時代を見つめているのは共通しているけれど、ルードヴィヒの行動はグロテスクで、マリーの行動は希望に満ちていることにも気がつきました。その辺りの対比は好きです。

その他、うまく収まらなかった感想

・舞台真ん中の円形の床、盆として回るのは円の輪郭のみで、時折演者が退場するときに歩く歩道のように使われるのがじわじわおもろかったです。あんまり見栄えしてなかったように思った

・ラスト、ルードヴィヒが退場する場面、客席の後方から光が差し込むような照明が綺麗だった

・ラスト、第九で盛り上がった分、ルードヴィヒたちの曲とマリーの曲、静かな曲が2曲連続するのが少し野暮ったい気がした。

キャスト感想

中村倫也さんは舞台で見るのははじめまして。実は実写版アラジンのレカペでサインをいただいたことはあるんですけど笑(ちなみにその時、晴香ちゃんにはサインもらったのに加えて一緒にセルフィーも撮ってもらってるんですよ😳 当時の自分が妬ましい)話が逸れました。映像で見たことある役柄的にふんわりしたイメージがあったのですが、正反対の怒鳴り散らすシーンやカールにレッスンを強要するシーンなどが特に印象に残っています。歌唱も緩やかなメロディの曲ではポップスに寄って聴こえたりたまに声が裏返ったりが気になったのですが、激しい楽曲はかなりの熱量がこもっていて目でも耳でもとても楽しかったです!!

福士さんはスリルミ以来だったのですが、歌がめちゃくちゃ上手くなってらっしゃる!!!!!!!今作は激しい難曲が多い中、どの曲もきっちり歌いこなしていてすごかったです。子どもから壮年まであらゆるキャラクターの演じ分けもさすがです。

そして、晴香ちゃん〜🌟 歌が上手い。いつ見ても上手い。安心と信頼。しかも今回は男装姿まで拝めるなんて〜素敵すぎました。友人と一緒にきゃーきゃー言いながら帰りました。先に書いた通り、マリー周りの展開には納得がいっていないところもあるのですが、それは晴香ちゃんが作り上げたマリーにとても共感できたから生まれてくるのだと思います。ALW作品に出演する晴香ちゃん見たい😭ビューティフル・ゲーム取れますかね・・・頑張ります・・・

 

激しく魅力的な音楽とものすごい熱量に圧倒されっぱなしでした。実は公式サイト先行で買ったチケットが特別手数料など諸々上乗せされた料金だった上に2階席だったので観劇前はちょっと凹んですけど、この作品を生で浴びられてよかったと思います。とっても楽しかったです。

 

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