Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

1週間で違う関係に『エリザベート』10/21 M 感想&考察

f:id:yadokarinko:20221023131540j:image

1週間前に見たときとはまた違う物語を受け取ることになってびっくりです!

f:id:yadokarinko:20221023131612j:image
前回の感想↓↓↓

まとめると前回(1014S)は、生命の輝き強強ちゃぴシシィが古川トート閣下🥺も万里生陛下🥺も圧倒的パワーで跳ね除けて、1人自由を求めて戦う物語でした。

対して今回(1021M)は、粘度が高い上に家族にまで干渉してくる最悪のストーカー古川トート閣下や権威主義に絡め取られた夫しゅが陛下を相手に一進一退の攻防を繰り広げ、シシィがたどり着く先は・・・という話でした。

特にシシィとトートのパワーバランスがかなり違っていた印象!大人プリンシパルはフランツが変わっているのでその影響と、純粋にちゃぴの喉の調子による火力の差もあるかもしれないけれど、こんなに違う味付けで出されるとは!!

ほんとに印象とイメージの話しかできなくて自分でも笑ってしまうんですけどしばしお付き合いください😂

愛希シシィと古川トート閣下

14Sのちゃぴシシィの戦いが逆風の中を前に向かって突き進むものでだったとすれば、21Mは逆風に吹き飛ばされないように立ち続けるようなイメージ。攻める戦いか守る戦いかの違いと言えばいいのか。。。展開そのものは同じはずなのに、14Sは圧勝していていて21Mはなかなか戦況が苦しそうでもある。ただ、閣下に惹かれていないというところや戦う覚悟みたいなものは一貫していたように思えるんだけれど、一方的に付きまとわれていることへの悲壮感がましましでより一層、死に心をむしばまれている感じがしました。

戦況がなかなか苦しい分、圧倒的勝利を収めて勝ち誇る「私が踊る時」のシシィが最高に輝いているんですけど、21Mの古川閣下は先々を見据えて綿密に計画を練ってきているかのような嫌なオーラを出してくるのでお互いが勝ちを確信しているバチバチした「私が踊る時」でした。14Sの閣下は全部負け惜しみだったのに一週間でどうしてこんなにも陰湿に笑

そんな古川トート閣下について、14Sは果敢にちゃぴシシィに迫ってはばっさり切り捨てられて悔しがりながらすごすご帰るっていうのを繰り返すものだから、だんだん不憫になってくる、勝ち目があまりにもない閣下でした。ルドやフランツに干渉していったのもシシィが構ってくれないから周りに手を出しているようで猫っぽかった。対して21Mは、ほんとうに話が通じないし、シシィをじわじわと追い詰めるための策略を練るような陰湿さや狡猾さが際立っていて蛇っぽい。閣下はシシィの希死念慮でもあるので、じめじめとした死が重くのしかかってくることで、シシィの苦しみが強調されていたように思う。わんぱくだった閣下が恋しい。

しゅがフランツ陛下

歌がうめぇぇぇぇぇ!さすがだ。柔らかい音なのにずっしりぎっしり届く素敵な歌声。あと踊るしゅがさんを初めて見た。かわいい。

「皇帝の義務」万里生フランツは皇帝モードに入るとスッて一切の感情を捨ててサイボーグ化するんだけど、しゅがフランツは優しさや不甲斐なく思う気持ちがしまいきれていなくてそれがとても辛い。多分、万里生フランツはシシィに出会わなければそれなりにうまくゾフィーの望む皇帝として生きていけたと思うけれど、しゅがフランツはどこかの段階でぽっきり心が折れてしまいそうな感じがする。(そこにない物語を探しがち)

シシィに「見捨てるのね」って言われたときには、今は取り合っても無駄だというように少し呆れ混じりに立ち去ったように見えたんですけど。。。あなたは生まれたときからそうやって生きてきたかもしれないけれど、ちゃぴシシィは違うんですよ!?!?とモンペを発動してしまいましたわ。21Mはちゃぴシシィにかかる苦しみがどんよりしていただけに、見ながら心の中でフランツにたくさん当たってしまった笑

愛希シシィとしゅがフランツ

14S はシシィ→フランツ:一緒に冒険する仲間ができたぜ!って感じでシシィからフランツへの恋とか愛ってものはあんまりないんだろうなってところだったんだけれど、21Mは愛のようなものをかなり感じた。最後通告のシシィが辛そうで辛そうで。21Mのちゃぴシシィは1人で生きていく覚悟を決め切っているわけではなさそうだったから特に。

愛のテーマでシシィがたどり着いた境地

前回の感想でも書いた「キスしなくちゃいけないなら閣下の頭引っ掴んでシシィからガッとキスしてびっくり顔の閣下とかで終わってほしい。」ってのはエリザの話題が出るたびに思うことなんですけど、21Mちょっとこれに近い形がとられていたように思うんですが気のせいですかね?私の願望が見た幻覚ですかね?

さすがに閣下の頭を引っ掴んではいないし、シシィの死を受けて閣下のびっくり顔で終わるのは14Sからそうなんですけど、今回はキスが完全にちゃぴシシィからだった上にキスされた瞬間から閣下が驚きの表情をしていたんですよね。これはギリギリちゃぴシシィが勝手に死んだと判断できるかもしれない!!!!閣下を出し抜いたのかもしれない。そう思うとわくわくが止まりませんでした。

それとは別に、どのようにしてシシィが死を選び取ったかというのはずっと考え続けているところ。今回見ながら気になったのが、愛のテーマのトート閣下は何か印象が違うということでした。衣装もそれまでは黒いのに悪夢以降は白い。21Mに関していえば、粘着質ストーカー感もなくなっている。そのあたりを踏まえると、シシィは「死」の対する見方を変えたのかなと思えた。死の間際までシシィは「死」を自らにつきまとう陰湿なそれこそ最悪のストーカーのように思い、苦しめられていたけれど、彼女が「死」に対する見方を変えたことで、本来の「死」、安らぎを与える純粋な「死」にたどり着くことができたのかもしれない。

見方を変えて幸せを掴むという意味では、「パパみたいに(リプライズ)」の歌詞『気の持ちようで幸せに』という部分にもつながるかも。

 

好みの話をすると14Sが好き。あの日「私だけに」を中心にちゃぴが表現したシシィは私が今後エリザの話をするときには度々口にすることになるんだろうなと思う。それくらいあまりにも心に突き刺さったんですよね。

ただ、14Sはシシィの生涯の前半から中盤にばかりに魅了されて、彼女が手に入れたものや行き着いたところについては考えられなかった。その点、21Mでは別の角度からエリザベートという作品を考えられた気がするのでどっちも見られてよかったな~。

 

最後に、感想と考察に上手く組み込めなかったけれどこれだけは書きたい。

ちゃぴシシィの「お見せしましょうか、まだぁむ?」が最高に好き!

 

エリザベート関連】

 

※(2023/12/20追記)この記事で取り上げている作品を手がけた小池修一郎氏は、元演出助手の方に対するセクシャルハラスメントがあったと告発されています。真偽のほどが明らかになっていない状況ですが、こうした告発があったときにはできるだけ告発者に寄り添いたいと考えているので、同氏が携わった作品にはひとまずこのような注釈を付けることとしました。