Mind Palaceがない代わりに

来年には大学生じゃなくなるのでタイトル改めました。

1週間で違う関係に『エリザベート』10/21 M 感想&考察

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1週間前に見たときとはまた違う物語を受け取ることになってびっくりです!

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前回の感想↓↓↓

まとめると前回(1014S)は、生命の輝き強強ちゃぴシシィが古川トート閣下🥺も万里生陛下🥺も圧倒的パワーで跳ね除けて、1人自由を求めて戦う物語でした。

対して今回(1021M)は、粘度が高い上に家族にまで干渉してくる最悪のストーカー古川トート閣下や権威主義に絡め取られた夫しゅが陛下を相手に一進一退の攻防を繰り広げ、シシィがたどり着く先は・・・という話でした。

特にシシィとトートのパワーバランスがかなり違っていた印象!大人プリンシパルはフランツが変わっているのでその影響と、純粋にちゃぴの喉の調子による火力の差もあるかもしれないけれど、こんなに違う味付けで出されるとは!!

ほんとに印象とイメージの話しかできなくて自分でも笑ってしまうんですけどしばしお付き合いください😂

愛希シシィと古川トート閣下

14Sのちゃぴシシィの戦いが逆風の中を前に向かって突き進むものでだったとすれば、21Mは逆風に吹き飛ばされないように立ち続けるようなイメージ。攻める戦いか守る戦いかの違いと言えばいいのか。。。展開そのものは同じはずなのに、14Sは圧勝していていて21Mはなかなか戦況が苦しそうでもある。ただ、閣下に惹かれていないというところや戦う覚悟みたいなものは一貫していたように思えるんだけれど、一方的に付きまとわれていることへの悲壮感がましましでより一層、死に心をむしばまれている感じがしました。

戦況がなかなか苦しい分、圧倒的勝利を収めて勝ち誇る「私が踊る時」のシシィが最高に輝いているんですけど、21Mの古川閣下は先々を見据えて綿密に計画を練ってきているかのような嫌なオーラを出してくるのでお互いが勝ちを確信しているバチバチした「私が踊る時」でした。14Sの閣下は全部負け惜しみだったのに一週間でどうしてこんなにも陰湿に笑

そんな古川トート閣下について、14Sは果敢にちゃぴシシィに迫ってはばっさり切り捨てられて悔しがりながらすごすご帰るっていうのを繰り返すものだから、だんだん不憫になってくる、勝ち目があまりにもない閣下でした。ルドやフランツに干渉していったのもシシィが構ってくれないから周りに手を出しているようで猫っぽかった。対して21Mは、ほんとうに話が通じないし、シシィをじわじわと追い詰めるための策略を練るような陰湿さや狡猾さが際立っていて蛇っぽい。閣下はシシィの希死念慮でもあるので、じめじめとした死が重くのしかかってくることで、シシィの苦しみが強調されていたように思う。わんぱくだった閣下が恋しい。

しゅがフランツ陛下

歌がうめぇぇぇぇぇ!さすがだ。柔らかい音なのにずっしりぎっしり届く素敵な歌声。あと踊るしゅがさんを初めて見た。かわいい。

「皇帝の義務」万里生フランツは皇帝モードに入るとスッて一切の感情を捨ててサイボーグ化するんだけど、しゅがフランツは優しさや不甲斐なく思う気持ちがしまいきれていなくてそれがとても辛い。多分、万里生フランツはシシィに出会わなければそれなりにうまくゾフィーの望む皇帝として生きていけたと思うけれど、しゅがフランツはどこかの段階でぽっきり心が折れてしまいそうな感じがする。(そこにない物語を探しがち)

シシィに「見捨てるのね」って言われたときには、今は取り合っても無駄だというように少し呆れ混じりに立ち去ったように見えたんですけど。。。あなたは生まれたときからそうやって生きてきたかもしれないけれど、ちゃぴシシィは違うんですよ!?!?とモンペを発動してしまいましたわ。21Mはちゃぴシシィにかかる苦しみがどんよりしていただけに、見ながら心の中でフランツにたくさん当たってしまった笑

愛希シシィとしゅがフランツ

14S はシシィ→フランツ:一緒に冒険する仲間ができたぜ!って感じでシシィからフランツへの恋とか愛ってものはあんまりないんだろうなってところだったんだけれど、21Mは愛のようなものをかなり感じた。最後通告のシシィが辛そうで辛そうで。21Mのちゃぴシシィは1人で生きていく覚悟を決め切っているわけではなさそうだったから特に。

愛のテーマでシシィがたどり着いた境地

前回の感想でも書いた「キスしなくちゃいけないなら閣下の頭引っ掴んでシシィからガッとキスしてびっくり顔の閣下とかで終わってほしい。」ってのはエリザの話題が出るたびに思うことなんですけど、21Mちょっとこれに近い形がとられていたように思うんですが気のせいですかね?私の願望が見た幻覚ですかね?

さすがに閣下の頭を引っ掴んではいないし、シシィの死を受けて閣下のびっくり顔で終わるのは14Sからそうなんですけど、今回はキスが完全にちゃぴシシィからだった上にキスされた瞬間から閣下が驚きの表情をしていたんですよね。これはギリギリちゃぴシシィが勝手に死んだと判断できるかもしれない!!!!閣下を出し抜いたのかもしれない。そう思うとわくわくが止まりませんでした。

それとは別に、どのようにしてシシィが死を選び取ったかというのはずっと考え続けているところ。今回見ながら気になったのが、愛のテーマのトート閣下は何か印象が違うということでした。衣装もそれまでは黒いのに悪夢以降は白い。21Mに関していえば、粘着質ストーカー感もなくなっている。そのあたりを踏まえると、シシィは「死」の対する見方を変えたのかなと思えた。死の間際までシシィは「死」を自らにつきまとう陰湿なそれこそ最悪のストーカーのように思い、苦しめられていたけれど、彼女が「死」に対する見方を変えたことで、本来の「死」、安らぎを与える純粋な「死」にたどり着くことができたのかもしれない。

見方を変えて幸せを掴むという意味では、「パパみたいに(リプライズ)」の歌詞『気の持ちようで幸せに』という部分にもつながるかも。

 

好みの話をすると14Sが好き。あの日「私だけに」を中心にちゃぴが表現したシシィは私が今後エリザの話をするときには度々口にすることになるんだろうなと思う。それくらいあまりにも心に突き刺さったんですよね。

ただ、14Sはシシィの生涯の前半から中盤にばかりに魅了されて、彼女が手に入れたものや行き着いたところについては考えられなかった。その点、21Mでは別の角度からエリザベートという作品を考えられた気がするのでどっちも見られてよかったな~。

 

最後に、感想と考察に上手く組み込めなかったけれどこれだけは書きたい。

ちゃぴシシィの「お見せしましょうか、まだぁむ?」が最高に好き!

 

エリザベート関連】

 

※(2023/12/20追記)この記事で取り上げている作品を手がけた小池修一郎氏は、元演出助手の方に対するセクシャルハラスメントがあったと告発されています。真偽のほどが明らかになっていない状況ですが、こうした告発があったときにはできるだけ告発者に寄り添いたいと考えているので、同氏が携わった作品にはひとまずこのような注釈を付けることとしました。

恋に落ちないキムとクリス『ミス・サイゴン』富山公演 10/15 M 感想

 

帝劇公演で屋比久キムと海宝クリスが見られなかった+U25チケットの販売があったので富山まで行ってきました〜!初の国内遠征!

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私は前日(10/14)のソワレ 帝劇でエリザを見て、友人と合流。そのまま八重洲から夜行バスに乗り、15日早朝に富山に到着し、マチネのサイゴンを観劇するというハードスケジュールでした。U25チケットの存在を調べ、高速バスの手配をしてくれた友人に感謝です〜

詳しい経緯は友人のブログを

オーバードホールについて

オーバードホールはとにかく音響が良くて、オケもキャストの歌声もものすごい迫力で飛んでくる。しかもオフマイクもかなり聴こえて、幕が開いてすぐのサイゴンの街中の人々の声もしっかり聴こえるから一気に没入できた。帝劇のぼやぼや音響はなんだったんだろう。。。G&Dとサイゴンはキャストのマイク小さすぎてほんとにもったいなかった。

座席は5階のE列(後ろは売り止めっぽかった)。背もたれに背をつけると低身長の私は舞台の下半分消える感じだったので、最後列特権で少し前のめりながら観劇した。背中バッキバキになり、前日からオペラグラスを覗くために酷使した肩の筋肉は1幕半ばでパンパンになりうまく手が上がらなくなった😂 ミュオタ、筋肉、大事。

 

屋比久キム

良い音響で素晴らしい歌声を浴びれる幸せを噛み締めました。歌が信じられないくらい上手い。全ての音が完璧に飛んでくる。屋比久ちゃんを見ると圧倒されて終演後「やびくちゃん・・・」「歌がうますぎる」しか言えなくなる現象に誰か名前をつけてほしい。特に3年後のトゥイとの対峙シーンでの「触らないでー!!」あたりの音圧が凄まじい。

屋比久キムは、感情を派手に爆発させないで心を奥に押し込めている。特にタムと一緒にいるときは自分の気持ちよりも「しっかりしなくてはならない」という思いが強くて、母から息子への愛というよりは、守り抜くべき存在への責任感みたいなものが前に出ている。

8月のサイゴン感想で、キムのクリスへの気持ちは本当に恋なのかについては結構考えていて、昆キムは状況からしてクリスに恋をするしか道がなかった、選べなかった、ただし本人にとっては正真正銘の恋なんだろうなと考えていた。屋比久キムの場合は、クリスへの恋心は完全な錯覚だと思う。辛い記憶に蓋をするように感情を抑えて生きてきたところに、なんだか他の人よりはキムのことを助けるそぶりがある人と出会ってしかもその人とセックスすることになった。抑えていた感情の波がこの辺りの出来事で突然高くなってそれを恋と錯覚したんじゃなかろうか。ちなみに私は海クリスも似た錯覚をしていたと思っている。

「今も信じてるわ」でもクリスの存在や彼の帰りを心の支えにしているというよりは何かを「信じている」ことで自分を奮い立たせているのかもしれないなというのを感じた。クリスがバンコクに来たことを知ったときの「両親に許された」という台詞も印象に残る。屋比久キムを一言で表すなら信念のキムなのかも。

昆キムほど壊れてなくて、クリス抜きの世界でも生きていけるキムです。まだ救える道が残されていると思うので誰か早く保護してください。

海宝クリス

なんとなく海宝さん=怒りってイメージがあって、海クリスは神にぶちぎれてんだろうなと思ってたらもう怒る気力すら残っていないぼろぼろのクリスが出てきたので驚いた。Why God Whyの序盤、呟くように音を切りながら歌っていたのがとても印象的。どうしようもなく無力だし自分がいかに無力なのかも嫌というほどわかっていそう。全てがどうでもよくなってしまっているし、皮肉屋っぽい。感情の波がなくなっているところにキムと出会って久しぶりに色んな感情が湧いたのと一緒に逃げる相手ができた嬉しさとを恋と錯覚したんじゃないかな。

劇中で1番感情を出すのが、サイゴン脱出の場面とバンコクのホテルの場面。ホテルでは、それまで椅子に座って困り果てていたところから突然飛び上がって「アメリカ人ならできると思った〜」の箇所を息も切れ切れになりながら歌うわけだけれど、今まで発してこなかった分の大きな感情が全部飛び出したみたいで衝撃的だった。あれだけの感情を溢れ出させたあとにキムの自殺に立ち会ってしまって、海クリスのただでさえぼろぼろな心はきっと完全に壊れてしまうと思う。立ち直って生き続ける姿が全くイメージできなかった。

あと、全然関係ないんだけど、ドリームランドにてオフマイクでエンジニアに暴言を吐く海クリスがめっちゃ刺さったんだけどなんて言ってたか忘れた。うるせえだっけな黙れだっけな、なんかそんな感じの聞きなれない言葉を発していた。ドリームランド海クリス、観察してると結構面白いんだよな。薬売りに来た人を無関心で追っ払ったり、ほどくのもめんどくさないのか女の子に巻きつかれたまま真顔で歩いてたり。

恋に落ちない屋比久キムと海宝クリス

屋比久キムは感情を抑えていて、海クリスは感情の波がなくなっていった人。2人ともひさしぶりに感情の波がうねったからそれを恋と勘違いしたんだと思う。そして、あくまで2人が求めているのは恋に没入することによるやすらぎであってお互いの存在そのものではない。

そんな2人のLast Night〜では、キスしていないと息ができないのかと思わされた。2番入る前ギリギリまでキス引っ張りすぎて「地球の向こうの〜」の入りに間に合うか心配になるくらい。ほぼ息吸う時間なかったと思うけど、そこは海宝先生なので大丈夫だった🙆‍♀️ 2人のキスには他のペアで見た時のロマンチックさみたいなものはなくて、むしろ病的な雰囲気があってやるせない気持ちにさせられる。

サイゴン陥落後、アメリカに行ったクリスは依存先をエレンに変え、残されたキムはクリスが帰ってくる、タムをアメリカに、そういったことを「信じる」こと自体を心の支えにする。やっぱりお互いにそれなりの愛着はあるんだろうとは思うけれど、こんなにも恋愛感情以外の面からミス・サイゴンという作品を楽しめるなんて〜!!

 

東山エンジニアもよかったな〜!なかなかに切れ者で、人に使われているときには小者感もあり世渡り上手な感じがする。アメドリも若さからくる野心みたいのものが見えて、結構私の中でのエンジニアのイメージど真ん中かも。あと、上野ジョンのブイドイが大迫力だった。

 

初めての国内遠征、いい音響でいい公演が見られて本当に幸せだったし、「新たなミス・サイゴン」を感じられてとっても楽しかったです!!

 

今期サイゴンの感想

ミス・サイゴンは25周年公演の円盤を数年前に見て、エヴァちゃんはじめキャストの方々の歌唱が凄まじいけれど演目としては刺さらんな〜と思っていました。でも今回、ミュージカルの見方みたいなものが少し備わってきた状態で見てみると解釈の余地が沢山あって見れば見るほど楽しくなる演目だと感じることができました。各役にどういう役者を配置するのか、どういう演出でどういう演じ方でキャラクターの新しい面を描き出すのか、これからも色んなプロダクションを見たい演目の1つになりました。

来年イギリスで開幕するサイゴンは、レプリカ版ではなく、エンジニアを女性が演じるそうですね〜気になる!!

 

昆キム小野田クリス駒田エンジニア回

昆キムサンウンクリス伊礼エンジニア回

戦う女 ちゃぴシシィに惚れる『エリザベート』10/14 S 感想

なんとなく見た気になっていたけれど、はじめての生エリザベートでした〜!

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キャスト&キャラクター別感想

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愛希シシィ

ちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴ!!!と思わず叫びたくなる。

ちゃぴシシィ、とにかく素晴らしかったです。

「私だけに」での覚醒がものすごい。もとから結構ワイルドで自分の気持ちは外に真っ直ぐ出していくシシィなんですけど、ここで「私は困難に立ち向かうぞ、打ち勝つぞ」っていう気迫をこれでもかと見せつけてくれる。目から飛び出る気迫や怒りと決意の表情に「戦う女」としてのシシィを見て鳥肌が立ちました。耐えるのではなくて自ら道を切り開くようなエネルギーに溢れているのがかっこよくてかっこよくて。

それでいて「冒険の旅に出る、私だけ」の「私だけ」の部分には寂しさも滲んでいて、戦う覚悟を見せると同時に、待ち受けるであろう孤独に対する意識もあってそこもまたよかったんですよね。おそらく誰かと連れ立って冒険の旅に出たいっていう気持ちもあったのかもしれない。「私だけに」の時点ではもう1人で生きることを決めているけれど、誰かと共に生きるビジョンも彼女にはあった。

「私だけに」で表現したシシィ像ってのもかなりドストライクだったのだけれど、歌唱がその表現に合っていて素晴らしかった。マタハリの時もよかったんだけれど、ファルセットへの切り替えに少し段差があるような感じがしていた。それが今回はなくなっていて、スムーズに高音に移行していたし、ファルセットも音が広がりすぎずに強く硬く届くような音色だったのでちゃぴシシィの気質との相性も抜群だった。ただでさえ、ちゃぴの演じる役ってかっこよくて気迫があって好きなのに歌までこんなに歌えるなんてどんどん大好きになってしまう〜!!!

「私だけに」に加えて、「エリザベート泣かないで」の『嫌よ!逃げないわ 諦めるには早い 生きてさえいれば 自由になれるわ』の部分にもちゃぴシシィの良さが凝縮されていたように思います。1人での戦いは孤独で、死が安息に思えるほどひどく疲れ切ってしまうこともあるけれど、死の誘惑をはねつけるだけの輝かしいまでの活力がやっぱりちゃぴシシィにはあるんです。この場面も迫力がすごくて鳥肌ものでした。

年齢表現も巧みでした。

「パパみたいに」のわんぱくな少女時代と若き皇后時代(普段の声色に近い)ももちろん素敵なんだけれど、「私だけに」を経たのちの深みのある落ち着いたトーンであったり、壮年の月日の経過を感じさせる声色であったりがとても自然。特に壮年はお顔自体が歳をとったかのように見えるくらいで素晴らしかったです。

対トート

トートに惹かれている様子はまるでない。必要以上に怯えてもいない。「最後のダンス」でも、よくわからない存在に迫られているのが怖いって感じで「死」そのものへの恐れはなさそう。「私が踊る時」の『やっと歩き出した私だけの道を 邪魔しないで!』の部分では、閣下に思いっきり怒りをぶつけているし、体操室でもビシーっとものすごい勢いでハウスするからおとなしく退散する閣下かわいそうになるくらいだし。

対フランツ

ちゃぴシシィは現代の一般家庭に生まれたら結婚しないと思う。あの時代あの身分に生まれて、たまたま皇帝に結婚を申し込まれて、それなりにいい人そうだからOKしたんだろうな。フランツへの愛はあんまりなくて、「一緒に人生を楽しく歩む仲間ができたね♪」みたいな意味での結婚。フランツは結婚によって皇族として生きる「苦しみを分かち合いたい」という思いなので全く相容れないですね。そうとわかるとちゃぴシシィは早々にフランツを自分の人生から追い出す。トートもフランツも結局跳ね除け続けるのが私的ちゃぴシシィらぶポイントです。

対ルドルフ

ちゃぴシシィの戦いは彼女が周囲に屈せず進み続ける攻めの戦いなので、そして彼女はすでに孤独な戦いの中に生きることを心に決めてしまっているので、ルドルフを守ることは難しいんだ〜😢 『ママは自分を守る為 あなたを見捨ててしまった この罪は消せない』がとても重く響いた。本当は同じ苦しみを負うもの同士、共に支え合えたらよかったよね。

古川トート閣下

私はトートというキャラクターをいまいちうまくのみこめていないので、なんかようわからんけど面白いなと思いながら見てました。後ほど作品感想のところで、トート閣下という存在については考えるとしてここでは閣下を人間的なものとして見たときの感想を書き残そうと思います。

全体の印象としては、ちゃぴシシィがものすごい勢いで我が道を行く中、果敢に攻め入ってはNOを突き付けられてすごすごと帰る閣下かわいかったな~って感じ。あまりにも脈がなさすぎる。。

愛と死の輪舞では、シシィと目があった瞬間に驚いたような表情をしていて、おそらく古川トート閣下はちゃぴシシィの圧倒的な「生」に惹きつけられたんだろうな。かっかわくわく😳 それなのに結婚式では、シシィの元気な「はい!」で爆速で振られる閣下、困惑しているし悔しがっている。2階の端っこで見たのでここで閣下のクソでか高笑いを耳に直に浴びました、面白かったです😂 閣下って出てくると絶妙に面白いのはなんでなんだろう。長い脚をバーンて見せつけるような姿勢で登場したと思ったら、シシィに突っぱねられて悔しがり、しばし舞台に立ち尽くしてからはけるっていう一連の流れがじわじわ面白くて。「最後のダンス」とかばーっと歌って満足して帰っていくの、TD的にはどうなの?閣下のご乱心どう思ってる?

あと個人的にとても面白かったのがルドルフの墓からぬるーって出てくる閣下🐈‍⬛ あと初っ端の登場シーンのゆっくり上から吊るされて降りてくるところもかなり面白かったんだけれど古川さんの声があまりにも良かったから話に入り込めた。

閣下いじりはこれくらいにして、ラストのキスの後「どうして?」というような困った顔をしていたのが印象的だったな。やっぱり古川トート閣下はちゃぴシシィの「生」の輝きに惚れてたんだろうな。死んでしまったらそれは失われてしまうよ、そりゃそうよ。

古川さんの歌声はどこか悲しかったり寂しかったりするのが魅力だと思っているので、そういった雰囲気をふんだんに纏いながら来るかなと予想していたら、思ったよりマスキュリンでイキイキとした閣下が出てきたのでびっくり。もちろん歌声の魅力はいかされているんですけど。闇広でも『王座に座るんだ〜』の煽り方が父親のようだと感じたりした。


万里生フランツ

やっぱりシシィ大好きよね万里生フランツ☺️

万里生フランツも古川トート閣下と同じくちゃぴシシィの圧倒的「生」に惹かれたはず。そうならば、自分と同じ鳥籠に閉じ込められたらぼろぼろになることをわかってくれよと思っちゃったよ。あんたの惚れたシシィはあんたと一緒に苦しみを耐え忍ぶように変わる女だと思うのか?違うだろうがい!と。その点では、「死なせてなんて言ってくるのは俺の愛したシシィじゃない!」って解釈違い起こす閣下の方がシシィ理解度高いかもしれないですね。かと言って閣下も最後まで「俺だけにー」って歌っちゃうのでなんもわかってないです。

早速フランツへの文句から始めてしまったけれど、フランツはフランツで辛いよなというところも多い。シシィに「私を見捨てるのね」って言われたときの顔が辛すぎた。しわしわピカチュウみたいになってた。「夜のボート」の最後もそんな感じ。ずっと皇帝として自分の自由など望めない中で生きてきたフランツが唯一欲したのがシシィなのに、どう足掻いても分かり合えないんだもんね。フランツからシシィへの愛が強ければ強いほど悲しい話になる。

そして久しぶりのロイヤルな万里生はやっぱりいい!いつぶりだろう?フェルセンぶり?ビブラートのかかり方優しくてフランツのいい人さが溢れている。

結婚式でTDと割と楽しそうな表情で踊ってるのかわいい。

上山ルキーニ

前の回かな?に喉を痛めて降板されていたので不安でした。ルキって音高いし、セリフ量も多いからどうか無理しないでほしい・・・。私が見た回は高音パートは下げつつ、中低音はおおむねばっちりって感じ。それにしてもこれだけ長い公演期間でルキーニWキャストはきついと思うよ。せめてトリプルは用意しておいた方がいいと思う。

私がこれまで見たり聴いたりしてきたルキは高音をひょいひょい出してくる狂気系が多かったのだけれど、上山ルキは高音を抑えたことで「普通の人」感が強いルキに仕上がっていたので新鮮だった。皇室にも民衆の動きにも詳しいとはいえあくまで一般の人で社会を動かす力は持たなかったはずが、皇后暗殺で一発逆転歴史に名を残したという印象。閣下とのつながりも弱め。

甲斐ルドルフ

3月にN2Nで大暴れしているのを見たので、こんなに強そうなルドを閣下ズはどうやって死に導くんだ?できるのか?と思っていたのだが、精神力弱弱のルドルフが出てきたのでこれまたびっくり。しっかりした肉体と頼りない精神のアンバランスさが皇太子という肩書きと何もできない現状に重なってとてもよかった。

闇広は思ったよりアレンジしてこなかったけれど、その後の場面でどっか音を上げていた気がする。高音綺麗だからどんどん上げてほしい。

涼風ゾフィー

音域ドンピシャでめちゃくちゃうまい!!!

これまでゾフィーの存在を割と悪役のように捉えてきた部分もあるのだけれど、今回の観劇で見方がだいぶ変わりました。女性が宮廷であのような権力を持つということはそこに至るまでに数々の戦いがあったはずで、得た力を他の女性のために、シシィを助ける方向につかえたらよかったのだけれどそうはならなかった。ゾフィーは宮廷で男性として生きるしかなかったというのが辛いなと思いました。

 

作品感想

トート閣下について

キャスト感想のところでも書いたように私はトート閣下がなんなのかいまいちわかっていないところがあって、今回はそれをちゃんと整理しておきたいなと思います。

① 人格

今作をルキーニの頭の中で上演されている劇として見る場合、彼にとってトート閣下は登場人物の1人。この見方はキャスト感想で書いた。

② シシィの希死念慮

ちゃぴシシィの生命力がすごいので、人格としてのトートに気を取られるけれど、彼女が孤独を抱えると嬉々としてやってくるというところを見ると希死念慮に取り憑かれていたという見方もできる。あんなに生命力があっても、彼女の戦いはあまりに孤独で常にどこかで死にたいと思っていたと考えるとあまりにも辛い。それは「いっそ狂ってしまえたら」と思うわ。

ただ、古川トート閣下はシシィの死に対して感情を出しているのでシシィの希死念慮ではないようにも思える。

③ 死そのもの

トート閣下はシシィの他、ハプスブルクの人間に干渉してくるので彼らの希死念慮が同じ形を取って現れているとも言えるし、シシィの死後も舞台に残ることを考えると死そのものと見られるはず。

この3つを混ぜながら見るの案外難しい。

国内外問わず各トート役者たちこの辺のことをどう考えて演じているのかとても気になる。

愛のテーマについて

エリザベートを初めて見た時からずっと気になっているのが、ラストの座りが悪いな〜というところ。

シシィは死の直前に華々しい何かを成し遂げるわけではないし、自殺したわけでもないし、暗殺によって突然命を奪われた。自分の意志と関係ないところで死を迎えるに至るのがそこまでに描かれたシシィ像と噛み合わない感じがする。ただそこは史実なので仕方がない。刺されたあとに、生にしがみつくのではなく死を自ら選び取ったと考えよう。

もっと気になるのがトート閣下とのキスなんだよな。「私だけに〜」と「俺だけに〜」を重ねることでお互い何も分かり合っていないのが強調されてはいるけれども、ちゃぴシシィは閣下とキスしないやろ!って思うのは私だけか。ただここもどうしようもないっちゃどうしようもない。死がトート閣下とのキスによって訪れるならキスしないわけにいかないもんなと思いつつ、でもゾフィーはキスしてなくない?とか思ったり。シシィもキスしないでひとりでに死ぬか、キスしなくちゃいけないなら閣下の頭引っ掴んでシシィからガッとキスしてびっくり顔の閣下とかで終わってほしい。

【10/24 追記】ちなみにこの願望は次見た時にちょっと叶っていた🥺

 

今回の公演はちゃぴシシィが強いのでエリザベートの物語としてしっかり筋が通っていたのがよかったな〜!好みだった!

それはそうと、色んな演出、色んな衣装、色んなキャストで見たいよっていう思いも大きい。女性が演出するエリザベートを見てみたいよ〜!!!トート閣下も日本は耽美系に寄せていてそれもまたいいとは思うがロックスターな閣下とかも見たいですよね!?私は伊礼トート待ってますから!!

 

と、書きながら過去のキャスト見ようと思ってエリザの英語版wiki見たらトート閣下の見た目について、His appearance is modeled on the poet Heinrich Heine who was fascinated by Elisabeth, and the rock singer David Bowie.と記載があった。ボウイ風閣下とそれに合わせた美術のエリザもやってよ!色んなバージョン見せてよ!

 

P.S.

来月、WOWOWシェーンブルン宮殿でのエリザコンが放送されます!!マーク・ザイベルト閣下がテレビで見られる😍💕💕💕 ザイベルト来日してくれないかな〜〜〜。

 

エリザベート関連】

 

※(2023/12/20追記)この記事で取り上げている作品を手がけた小池修一郎氏は、元演出助手の方に対するセクシャルハラスメントがあったと告発されています。真偽のほどが明らかになっていない状況ですが、こうした告発があったときにはできるだけ告発者に寄り添いたいと考えているので、同氏が携わった作品にはひとまずこのような注釈を付けることとしました。

あっきーのフランキーに間に合えてよかった『ジャージー・ボーイズ』10/8 S 感想

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今年5月に映画版を見て「あ~これは劇場で見てこそ魅力がわかる作品なんだろうな」と感じたのだけれど、まさにその通りだった。

私が思うに今作の山場は、フランキーがトミーの借金を全て背負い込むところ。誰にも理解できなくてもそれがジャージー流だと。成功したグループの華々しさではなくジャージー出身の若者たちの人生や関係性にフィーチャーする分、お話自体は面白いけれど結構こじんまりしている。(メンバー間の諍いが歌に乗ることもあまりないので)

そこに楽しいライブシーンが挿入されることで楽しいショーに仕上がるんですね~!!

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キャスト感想

あっきーさんのフランキー・ヴァリに間に合えて良かった😭 ヴォルフガングには(M!とロクモ両方とも)間に合わなかったのでね。世代的にもミュオタになった時期的にも。まだ観劇経験は少ないながら、役と演じる俳優さんが互いを高め合うようなハマり役って存在すると思っていて、あっきーさんとフランキーはまさにそれだと感じられました。

歌のうまさはもちろんなんですけど、ピュアさと矜持みたいのものがあまりにも役と合っているように思えて、見ていて本当に楽しかったです。あと驚いたのが、ダンスのキレがはんぱないですね!?!?あっきー=歌ってイメージが強いのでここまで動けるって知らなかったです!!!それから序盤のピンクのシャツ着てるあたりの時代のフランキーかわいすぎました、とういうか全編にかわいいが溢れている。

そうそう、フランケンの円盤を見ているから忘れがちだけれど、あっきーさんが出ている演目を生で見るのは初めてだったんですよね。コンサートでは見たけれど。これからもお世話になります。

藤岡トミーもあまりにもハマっていて😂 トミーって普通に生きていたら絶対に出会わないタイプの人間で、日本で生きる私からしたらなおさら現実味のない存在なんだけれど、藤岡さんは自然に横暴でどうしようもない、でもなぜか関わる人間には恵まれている不思議なトミーを自然に演じていて「トミーがいた」。トミーがフランキーの顎をペシってして驚いたすきに軽くビンタするシーン、フランキーに何しとんのじゃわれ💢ってモンペになってしまうんですけど、トミーのああいうフランキーは弟分だから何をしてもいいみたいな考えってフランキーがトミーの借金を背負いこむのと根源にあるものは同じなんだろうな。あっきーさんと藤岡さんのハモリ素晴らしかったです!流石だ!!!

とんちゃんボブ、というかとんちゃん、めちゃくちゃ歌が上手くなってらっしゃる!!!最後に見たのマタハリだからな〜もう1年以上前だもんな。December 1963のメインボーカルがボブって知らなかったのでこんなに歌ってくれるとも思ってなかったし、素敵だったな〜。

大山ニックは愛され力が高めなので、ニック自身が自分をどう思っていようとも3人にとって必要な存在だっただろうよと退場時しみじみとしてしまったよ。。。

 

The Four SeasonsとThe Beatles

劇中で、自分たちのファンは「髪に花を刺したヒッピーではなく、戦場に送られる兵士たちや目の下にくまを作りながらバーガーをひっくり返す彼らの恋人たちだった」というような台詞があって、ここのところがおしゃれでとても好き。これだけで、同時代にビートルズが活躍していたこと、ビートルズのファンはヒッピーだったこと、ビートルズファンのヒッピーたちは反戦運動ができるくらいには生活に余裕のある人でフォー・シーズンズのファンたちはそうではなかったこと、たくさんの情報が詰まっている。私はヒッピーが好きなので例の台詞には少しどっきりする部分もありました笑

冒頭で彼らジャージー出身のお金のない少年たちが「抜け出す道は3つ。軍隊へ行く、マフィアに入る、あるいは、スターになる」とも語られていて彼らのような境遇では軍隊に行くというのが選択肢にあったことと彼らのファン層に軍隊へ行った人々が多いということが重なってなるほどなと思いました。

また、ニックは舞台を去るときに「グループに4人いて、自分がリンゴ・スターだったら?子どもたちと一緒に過ごした方がいい」とも述べていてやたらビートルズに突っかかるな〜という印象。というかリンゴとばっちりすぎる😂

Wikipedia読んだだけだけれど、フォー・シーズンズが所属していたヴィージェイ・レコードはアメリカ国内でのビートルスの初期シングルをリリースしていて、それがあまりにも売れすぎて生産が追いつかなくなり、それによって資金繰りが悪くなったとのこと。この騒動もあってヴィージェイからフォー・シーズンズへの印税も滞り、彼らはレコード会社を移籍したそう。会社を移籍してもフォー・シーズンズの人気に影響はなく、ヒットチャートをビートルズが独占する中で1位を取ることができたのはフォー・シーズンズだけというくらい人気があったみたいです。

このような経緯もあってビートルズとは関わりが深く、またファン層の違いや自分たちの境遇も相まって彼らのことが気になる存在だったんでしょうね。 クリスやジョンもフォー・シーズンズを聴いていたのでしょうか。

 

劇場で見るべき演目

今作は、地に足ついた堅実なストーリーにライブシーンを挿入することでショーアップする作品だから生でライブを楽しめる環境で見るのが1番だろうなというのと、もう一点、メンバーが客席に語りかけてくるスタイルで進行するところも、劇場で、そして欲をいえばもう少し小さい箱(それこそクリエくらいのサイズ)で見たいなと思わされる要因としてある。

私は第四の壁を破る手法が好きなのだけれど、やっぱりスクリーンや画面越しに語りかけられるよりも劇場での方が直接語りかけられる感覚、当事者性が強くなってわくわくします。そんなわけで「わーめっちゃ話しかけてくれる😆」って楽しく見てはいた。

そう楽しんではいたが、今回日生劇場なのに音響が微妙な気がする。特に冒頭のトミーの語りの部分が半分くらいしか聴き取れなかったので、映画で予習してなかったら着いていけてたかわからないな。

最後に、またまた映画との比較になってしまうのだけれど、ラストのロックの殿堂シーン。映画版だと俳優さんたちが老けメイクで登場してぎこちない会話を交わすってのがものすごくいいので、舞台では案外サラッとしていたのが意外でした。舞台は舞台で「あの頃に戻ったみたいだ」っていう台詞もあったし、彼らの精神の姿でのパフォーマンスというふうに受け取ることができてこちらもまた素敵な演出だな〜と感動していました😌

 

映画のリンクも貼っとこう!

ジャージー・ボーイズ(字幕版)

ジャージー・ボーイズ(字幕版)

  • ジョン・ロイド・ヤング
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カテコ

めちゃくちゃ楽しかった〜✨ なにも考えずにチケットを取ったけれど本初日だったこともあり会場もほどよくあったまっていて素敵な空間でした。メドレーでは演者さんたちから拍手の指示が入るので今回は頑張りました💪 December 1963の2拍入る手拍子に苦戦したり、あっきーさんに「皆さんご一緒に」と言われたのでBig Girls Don't Cryを踊ったり☺️ 幸せな気持ちになりました〜

 

あっきーさんのご挨拶はムラタさんが早速文字に起こしてくださっていた!ムラタさん流石すぎます!!

 

 

分かり合えない現実を描く『SERI 〜ひとつのいのち』10/6 S 感想

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conSept作品の観劇は、2021年版『いつか』『GRAY』に続いて3作目ですが、どれも他の作品、特にグランドミュージカルの世界では見落とされたり、捨て置かれたりしてきた現実を描き出しているところが魅力のひとつだと感じます。今作は、無眼球症と鼻の骨の大きな歪みを持って生まれてきた千璃とどのように向き合うか葛藤する両親、そして千璃の出生に関わる医療裁判を扱ったミュージカルです。


千璃の母 美香は、キャビンアテンダントとして活躍したのちニューヨークへ留学。自身の会社を立ち上げる目前で、友人たちからも「パーフェクト」と呼ばれるような存在として描かれ、父 丈晴も地方出身ながらニューヨークの会計事務所で働いており、成功者のように見える。そんな2人の元に千璃は生まれます。2人は千璃の障がいに驚くと同時に、医師が何の説明もせず逃げるようにその場から立ち去ったことに困惑。また、事前のエコー検査で医師からは「異常なし」と言われていたものの写真を見せてはもらっていないことに対して疑惑を抱きます。

 

You Don't Know -分かりあうことはできない両親

序盤では、障がいを持つ千璃の未来に絶望する美香と前を向いて進もうとする丈晴が描かれます。丈晴のある種脳天気な気質が美香を励ましているような部分もあり、若干、観客が丈晴に共感しやすいように話が進みます。そして2人の育児生活が描かれるのですがここが面白い。

千璃にミルクをあげようとするが撥ねつけられて苦労する美香、帰宅する丈晴、ご飯の準備中に千璃を抱く丈晴、配膳をして千璃を再び抱く美香とご飯を食べる丈晴、就寝する丈晴、千璃を寝かしつけようとするがベッドに寝かせようとすると泣き始めるため再び抱きかかえる美香、日の出、配膳をして千璃を再び抱く美香とご飯を食べる丈晴、出社する丈晴という一連の流れがループする様子が描かれます。また、流れを繰り返すうちに丈晴が千璃や美香へ気を配る時間は短くなり、同時に美香は活力を失っていきます。

このシーンでは「育児において母親にばかりかかる負担」を描き出しています。赤ちゃんというコントロールが効かない生命とともに、閉塞感のある家の中で永遠に続くかのような毎日を繰り返す、この苦しみは子の障がいの有無に関わらず、多くの母親が強いられてきた普遍的な苦しみであるはずです。

また、丈晴は「ずっと家にいるから余計に辛いんだ」と週末にはベビーカーに千璃を乗せて3人で散歩に行くことを提案します。しかし、他人の視線が気になる美香は、その反対に全く気にしないように見える丈晴に「美香が気にしすぎなんだよ」と言われて怒りを露わにします。週末ちょっと散歩に行くだけのあなたには何もわからないと。

丈晴の前向きな姿勢や倫理的に正しいように思われる発言が、千璃と2人きりの毎日を過ごし、自分の仕事に手をつけることもできない状況の美香を傷つける。今作の重要な台詞として「美香のせいじゃないよ」という言葉があります。これは千璃の障がいを知り泣き崩れる美香に向かって冒頭で丈晴がかけた言葉です。美香は物語が進んでいったのちにこの言葉を振り返り、「あの瞬間に私は当事者、丈ちゃんは傍観者になった」と発言します。障がいは「美香のせいじゃない」という言葉は、優しい響きを持つように思えます。しかし、その裏には「障がいは自分のせいであるはずはない」それならば「母親のせいであるのかもしれない」という思考があったことを示しています。(「美香のせい〜」という台詞は冒頭で出てきたときから違和感を覚えていたので、中盤での伏線回収には沸きました!!!)

話があっちこっちに広がりましたが、今作では育児における母親ばかりが強いられる閉塞的な苦痛や父親の当事者性の薄さという普遍的な題材を描き出しています。分かり合えるわけのない相手からの歩み寄りに対する怒りという意味では「Next to Normal」でダイアナが歌うYou Don't Knowにも近い場面があったりも。ただ今作の場合は、丈晴もYou Don't KnowするのでYou Don't Know合戦になります。

両親に限らず、美香と彼女に訴えられる医師の分かり合えなさというのも本作ではフィーチャーされていて、「分かり合えない現実」というのが1つ今作のメインテーマになっているのだと思います。

 

手術を受けるべきか受けざるべきかー実話だからこその展開

美香はノイローゼ状態になり、千璃とともに飛び降り自殺を図ろうとします。しかし、町の音に感化されて千璃が初めて笑い声を上げたことをきっかけに「何があってもこの子を守り抜く。彼女が幸せになるためなら何だってする」と決意を固めます。

当初、美香は自分が千璃の障がいを受け入れられないがために義眼の挿入と鼻の整形を決行しようとしますが、義眼を入れるためのスペースを作る手術はうまくいきません。対して今度は「千璃が幸せになるために」鼻の手術を強行します。美香の考えは、心無い世界に目が見えず、言葉も話せないまま晒されることになる千璃を守るためには、少しでも人にかわいいと思ってもらえることが重要なんだというものです。手術について、丈晴は大規模な開頭手術になることから脳への損傷などのリスクがあるため行うべきではないと主張し続けますが、傍観者であるという指摘を受けたことや美香の「守りたいからだ」という考えに押される形で手術を決断します。手術は成功しますが、縫合した箇所が一時的にとはいえ腫れ上がった娘の姿を見て2人は「何をしてしまったんだ」と後悔することになります。しかし、2人は想定していなかったのだが、鼻の形成により脳に酸素が行き届きやすくなったことで千璃が言葉を話せるようになるという大きな効果を得ることとなるのでした。

この手術をめぐる展開は、実話をベースにしているからこそのものであると感じます。

私がこれまで触れてきた作品を参考にするならば「おそらく千璃は千璃のままでいい、リスクを負ってまで手術を受けなくていいし、私たちで彼女を守っていこう」という展開が王道であると思われます。対して今作の展開では、手術を結構したことへの深い後悔と手術により千璃が言葉を話すようになったことへの喜びが見られます。手術を受けることによる闇と光を描くことでストーリーの展開的にはある種の矛盾のようになる。それが「現実である」ことを突きつけてくるような展開になっていて興味深かったです。

 

最後に、各社が国産ミュージカルに力を入れる中がなかなかうまく行っていない要因として「ミュージカル曲」を作ることができる作曲家が少ないという問題があるのかなと素人ながらに思っているのですが、桑原まこさんの音楽はいつもミュージカルになっていて素敵だなと思います。特に今作はリプライズのタイミングが私の感情の波とハマってすごく楽しく観劇できました。

 

【思い出し追記】

舞台と客席すべて電気が落とされた状態で千璃生きている世界の一部を体験できるような演出も面白かったです。

 

【関連記事】

 

 

 

『キンキーブーツ』という作品へ疑問と素晴らしい公演 (10/3 S) の感想

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前半に公演の感想、後半に『キンキーブーツ』という作品に対して私が感じている違和感や疑問の考察があります。読みたいところに飛んでみてください〜

公演の感想

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楽しかったな〜!!ローラやエンジェルズのスパンコールと宝塚のミラーボールからは似た成分が噴射されていると思う。あのきらめきを浴びると心が潤って背筋も伸びるよね。

城田ローラはでっっっっかい!圧倒的な存在感で輝いていました。踊りのキレはあんまりないのだけれど、歌が素晴らしかったです。声量もあって満足感もりもりでした。

翻訳ものの難点として1つ、和訳したジョークはなんとなくうまくいかないってのがあると個人的に思っているのだけれど、城田ローラの声色や台詞のスピード感、表情のバランスがいいのか自然に仕上がっていていました。めずらしくたくさん笑った😂

舞台上で縮尺がえらいことになってるので、ロンドンのクラブでローラがチャーリーにハグする場面、ちょうどチャーリーの顔面にローラの胸が押し当てられるんですよね。その絵面があまりにもカートゥーンっぽくて爆笑してしまいました。

小池チャーリーは城田ローラとのサイズ感の対比とご本人のお顔の幼さが相まって若僧感満載でした。学生生活終えたばっかりのまだまだ子どもっていう印象。後述の作品についてでチャーリーという役についてはあれこれ書くのだけれど、小池チャーリーはその幼さで結構毒気を抜いてくる。まだまだこれから変われるよって応援したくなるようなチャーリーでしたね。歌唱面は安定していて、ソロ曲の最後の伸ばしがキツそうだなってところでした。Soul of a Manは歌い切ってました。チャーリー楽曲って意外にハイトーンですよね。

ソニンローレン!!!ずっと楽しみにしてきたんです。最高でした。ブーツを作ることをロンドンに報告しに行ったとき、ローラに会った瞬間から目がキラキラしているところも工場にローラたちが来たとき誰よりも早く、奇妙な動きでリズムに乗り始めているところも、どの瞬間も愛おしすぎて困りました。そしてThe History of Wrong Guysは流石でした。ローレンが出ているとついついオペラグラスで追っちゃう、大変な視線泥棒でもありました。ブロンドもジーンズも似合いすぎる🥺💕

 

それから、遠山さんが大優勝してましたね。ラウンドガール?というのかな、In This Cornerでメインボーカルを張るのだけれど、その歌声がパワフル&正確無比でぶち上がりました。オーブ3階席は全編通してぼやぼや音響で歌詞の聴き取りは諦めていたのですが、遠山さんの歌声は3階席まで真っ直ぐ飛んでくるんですよね。彼は多分ブリリアをも制すると思います。

 

訳詞はかなり英語を混ぜたものになっていて、アップテンポかつ激しめの楽曲が多いのもあり、リスニングはかなり難しいです。おそらくアップテンポな曲では訳の段階から、歌詞を聴かせるという気はあまりないのだと思います。それでも作品としてかなり楽しめるものになっていると感じたので無理やり日本語に訳し尽くさないってのも1つの手なのかもしれません。歌い方についても、英語と日本語が入り混じる箇所では、日本語の部分も英語っぽい発音で歌っていたりしたのもそう感じた理由のひとつです。

 

キンキーブーツという作品への違和感と疑問

私の親KBは、マット・ヘンリーがローラ、キリアン・ドネリーがチャーリーを演じたWE公演の収録版。昨年の3月「松竹ブロードウェイシネマ」の作品 (WEなのにBW😂) として東劇で上映されたときに初めて見て、あまりの楽しさに何度もスクリーンに向けて拍手しそうになったし、映画館を出てからも友人とはしゃぎ回りながら帰った。シンディ・ローパーの楽曲も素晴らしかったので、家に帰って洋楽好きな父 (ミュージカルは嫌いではないが普段から進んでは見ない) におすすめしたところ、父も後日見に行ってくれて、しかもものすごく楽しんで帰って来たのも嬉しかった、そんな作品。

 

ただ、うまく説明できないのだけれどなんだかもやもやする部分もあって、その一部が今回の公演を通して少し紐解けたので、ここに書き残そうと思う。

 

1つ目は、今回の上演に際して変更が入った「Ladies, Gentlemen, and those who have yet to make up your minds.」( そしてまだどちらか決めかねているあなた) という台詞。

初見時には、今作の文脈から見て「別に決めなくてもよくない?そのまま受け入れてくれるんじゃないのかい?」という疑問があったので、変更があってよかったと思う。

変更後の「本当の自分を探し求めているあなた」ってのにもまだ違和感がないわけではないけれども。。。

 

2つ目は、脚本がチャーリーに甘くない?というもやもや。

ミラノ行きが迫る中、プロの女性モデルを起用すると言うチャーリーとエンジェルズたちに出演してもらうべきだと考えるローラは対立。口論の最中、チャーリーはローラ自身を否定するような言葉を捲し立てる。また彼は、工場の従業員たちに対しても、労うどころか高圧的な態度を取り始める。ここに来てチャーリーはマジョリティで権力を持つ側の人間なんだということを突きつけられる。小池チャーリーは幼さ全開なので今回の公演だと目立ちにくいけれど、ブーツは本来誰のためのものだったんだ?というローラに対して「You're not serious, you want me to gamble. My family's business, this building, my home, the very shirt on my back on a ramshackle bunch of broken down」と返して、家を守るという文脈の中でローラに怒鳴り始める。

このような発言を見ても、チャーリーのローラに対する発言は、追い詰める中で出てきてしまったというものでも、あえてローラを傷つけるためにというものだとも思えなくて、やはりチャーリー(=ヘテロセクシュアルの男性で家父長制の価値観の中にある人間)の内面に染み付いている差別や偏見が表面に出てきたと受け取ることができると思う。だとすれば劇中でチャーリーが自分の考えの誤りに「気が付く」場面が欲しいところだ。多分それにあたる場面はローレンの会話シーンなのかなと思う。父のような男になれないとSoul of a Manを熱唱したのち、落ち込んでいるチャーリーのところへローレンがやってきて自身の父が亡くなった時の話をしてくれる。そして「他人を受け入れなさい」というローラの言葉に心を入れ替えたドンがあなた(チャーリー)を受け入れて従業員たちを呼び戻してきたんだと教えてくれる。

こうしてチャーリーは救われるわけだが、ここであれ?となる。私がチャーリーに気がついて欲しかったことに彼は気がついたのだろうか?自分の発言がローラを傷つけたことや従業員たちに問題のある態度をとったという自覚はあるけれど、彼はどうにも内側に根付いた差別や偏見に向き合っていないように思うのは私だけか?彼は従業員たちに謝ることもない。ローラに対しては謝罪の電話を入れているけれど、自分の誤りに気がついたというような内容ではない。それなのにローラもミラノに駆けつけてチャーリーを助けてくれる。この状況を考えると、脚本がチャーリーというヘテロセクシュアルで悪き家父長の性質も持っている(WE公演では白人)の男性に甘いんじゃないかと思わされる。

 

3点目は2点目に関連して、ローラの役柄について権力を持つマジョリティ側の勝手な願望みたいなものを感じずにはいられない。

日本版ではローラの人種はわかりにくいけれど、これまでのキャスティングやLand of Lolaの歌詞を見てもおそらく黒人が演じることが想定された役。人種の話を除いたとしてもローラは確実にマイノリティ側の人間だと思う。

そして、チャーリーが内なる差別意識に向き合っていない (ように少なくとも私には見える) 中にあっても彼を助けにくるローラにはマジョリティの側が「好ましくあれ」と突きつけてくるようにも感じられなくはない。私自身はローラがミラノに現れるシーンは最高にかっこよくて楽しくて大好きではあるのだけれど、ずっともやもやしてきたところ。

 

4点目はまだ私の中でもやもやの正体を分析できていない部分。全編を通してどうしてあそこまで「本当の男らしさ」にこだわっているのかが私にはよくわからない。

「What I wanted to say was if anyone ever tries to tell you, you're something less than a man, then you have them see me. I'd being a man means being brave enough to take on the entire world, then you're the only man I've ever known.」

これはチャーリーがローラに入れた謝罪の電話の内容。作品が伝えるメインテーマは「Just be who you wanna be」そして「ありのままの他人を受け入れなさい」という内容だと私は考えている。そこと「君こそが本当の男なんだ」という発言はなんとなく相性が良くないような気がするのは私だけだろうか。父と息子の関係の中での「男らしさ」、有害な「男らしさ」を表すドンの成長という文脈で、それが重要なのもわかるけれど、話の着地点でローラにかける言葉として適切なのかわからない。

ローラはローラ、定義付けする必要なんてないはず。ここでもチャーリーが本質的に変わっていないように思われるところが見えてくる。やっぱりチャーリーの「気づき」の場面がもっとしっかりほしいところである。

 

誤解のないように書くと、私はキンキーブーツという作品は結構好きです。いつかドライヤーで髪をぶふぉーーーーってやりながら「チャーーーーリーーーー!!!」って歌うのが夢です。でも、最近読んだ本で、「好きであること」と「批判的な目で見ること」は両立するとの言葉を得たのでこんな感じで書いてみました。

9月の鑑賞記録(創造主と被造物の関係を考えた読書の秋)

古典と呼ばれる作品たちを読んでこなかったことと自分の語彙のなさが悔やまれて(完全にDLLの影響)、中学生時代ぶりに本をたくさん読みました。

📚 マリアビートル (2010)

中学生になったくらいで父から進められて読んでドはまりして何度も読み返していた作品。ブレット・トレイン公開前に読み返すことにしました。

エンタメ小説として私の中ではトップ。なかなかの分厚さだけれど一瞬たりとも読者を飽きさせない緊張感、細かな伏線を徹底的に回収しつくす緻密さ、魅力的な登場人物たち、これらががっちりはまっていて時間を忘れて読み進めてしまう。私は蜜柑寄り果物推しです。何度読んでもしんどいです笑 これを書きながら、笑えるシーンを後半の深刻なシーンにつなげてくるところは鎌倉の感じに近いかもって思いました。なんて書いておくと読んでくれる人が増えそうっていう作戦です。今の私はブレット・トレイン鑑賞済みです。あの作品が楽しかった人はもちろん、面白くなかったという人は特に原作に出会ってほしい。まじで原作果物のやばさに触れてくれ。

別にミュージカル化してほしいとかそういうわけではないけれど、何か作品を見ると脳内キャスティングしはじめるのはミュオタの常じゃないですか。そんなわけでマリビミュの配役を考えてみたんですけど以外に難航しています。でも、蜜柑は小西遼生さんで間違いないですね~。木村はspiさんかな。個人的に檸檬は伊礼さんで見たんだけれど、蜜柑と檸檬のそっくり感がでないか、、とか。玲奈ちゃんの真莉亜とかも見たい。

🎭 ミュージカル『ピピン』9/3 M

リーディングプレイヤーさんに心を鷲掴みにされております。

📹『ダディ・ロング・レッグズ』LIVE配信 (2022)

先月の観劇時は2階からで遠かったので2人の細かい表情が見られて楽しかったのと、かなり好きだったけど覚えきれなったジルーシャの台詞たちをメモできたのが嬉しかったです。そして萌音氏の歌唱力がさらにパワーアップしていて感動。綺麗な歌声~!

🎞 Bullet Train (2022)

Filmarksに書いたものを転載します。

私は伊坂幸太郎のマリアビートルのファンかつトンチキジャパンコメディにされていると覚悟の上で見に行きましたがあんまり面白くなかったです。。。

原作からいかにかけ離れているかについては議論する意味がないほどなので考えるのをやめます。私の推しはアーロンテイラージョンソンのビジュを得た代わりに私の愛した全ての美徳を失っていましたが。お髭は可愛かった。いつか新幹線に実際に乗ったことのある人がドラマ化なり映画化なりアニメ化なりしてくれると信じて待ち続けたいと思います。

さて『ブレット・トレイン』について。手放しで笑える作品に仕上げたかったんだろうな〜とは理解できたけれど私的にはそこまで笑えなかったです。大味すぎて面白く感じないシーンが多かったし、全体としても雑だなという印象を受けました。私は観客として想定されていないのかもしれない。not for meってやつ。

それからなんだかんだトンチキジャパン描写ってのを日頃から楽しんでしまう自分がいなくもないのだけれど、最近は疑問も芽生え始めている。どうしてハリウッドは真面目に日本を見て、描く気がないんだろう。新感線の車内の写真を数枚見るだけで、今回のような新感線は存在しないことがわかるはず。別にフィクションなんだからなんでもかんでも実際の通りにする必要がないということもわかっている。でもあまりにも日本の文化を知る気がなさすぎるんじゃない?それって私たちを軽視してるんじゃない?って思ってしまう。

今は洋画沼からは少し離れているので、今作に関するレビューを読めていないのだけれど、あんまり日本で批判を浴びているようには思えない。なんならかなり楽しんでいる人が多そう。そこにはハリウッドに日本を描いてもらって嬉しいみたいな意識も感じなくはない。

今作の制作背景について全く知れてないのでちゃんとした批判はできないけれど、あくまで作品を見て、もやっとした日本人の気持ちをここに書き残します。

🎭 新作ミュージカル『COLOR』9/8 S

やっぱり存命の方をモデルに他人が作品を作るのはとても難しいんだなと思いました。。。来月、チケットが取れればそういったミュージカル作品を見ると思うので2作品からめて考えたいなと思っています。

🎞 Rodgers and Hammerstein's Cinderella (1997)

「エルフやブルーフェアリーを黒人が演じるのはイメージに合わない!」というもろ差別な発言がTwitterで話題になった際に何度かTLで見かけて、そうだD+に来ているんだったと思い出して鑑賞しました。

めっちゃいい作品では!?!?ミュージカル映画としては近年見た中でかなり好きな作品かもしれない。ミュージカルの映画化作品によく感じるあの違和感(私はまだちゃんと解明できていない)がなくてものすごく自然だったんですよね。ミュージカルの良さがしっかり映像として形になっているというか。その辺はやはりさすがディズニーってところなのだろうか。ロジャース&ハマースタインの楽曲も素晴らしくて満足度が高い。私はシンデレラが歌うIn My Own Little Cornerという曲がお気に入り。

それから配役も良かったです。みなさん役と歌声がはまっていて素晴らしい。話題になった人種という面から見ると、シンデレラ・フェアリーゴッドマザー・王妃・義姉の1人が黒人、王子がアジア系、継母・義姉のもう1人・国王・臣下のライオネルが白人という配置。黒人の王妃と白人の国王の息子がアジア系であったり、義姉妹の人種が違ったりします。でもそこには何の問題もありません。なぜならシンデレラの物語において人種は重要な要素として物語に関わってこないから。この物語においてはアイデンティティとして人種が大きな割合を占めるキャラクターはいないから。この物語においては誰が何を演じてもいんです。その時代が~、妖精のイメージが~なんて言い始めるのもナンセンスです。そもそも実在しない国の実在しない人物や妖精の人種がなぜ規定されなくちゃいけないんでしょうか。

そして、今作の配役はまさにそういった凝り固まったイメージの中にいる人々に対して疑問を投げかけるという意味で、作品の外側において強い力を持つと思います。同時に描かれた有色人種の多くの子どもたちが魔法の世界に自分たちがいるという体験をできた。ミュージカル映画としても素晴らしいし、近年の「ポリコレ」論争について考えるうえでも面白い作品でした。

🎭 ディズニー・オン・クラシック ~まほうの夜の音楽会 2022 9/11

久しぶりの来日シンガー公演。全編通しはノートルダムの鐘。フロロー役のDillon Heapeさんの声が最高でした。美しい低音。

📚 新訳 フランケンシュタイン (田内志文訳)

私の親フランケンはNTLのベネさん怪物フランケンでそのあとにミュのフランケンとも出会ったのだけれど、原作はどちらともかなり離れていて驚きました。ただ3つの作品を思い浮かべて思ったのは、創造主と被造物の関係性が濃くて軸がぶれないから、いろんな形にアダプテーションしても物語の本質が失われないんだなということ。

「被造物は創造主を愛するのか」というのはちょうど夏に『マイ・フェア・レディ』を読んだときにも考えた。MFLでショーはガラテアはピグマリオンを愛すはずがないと提示していて私もそれにおおいに賛成だった。でもフランケンシュタインでは被造物が創造主を愛してしまうのは当たり前だと感じる。この差ってなんなんだろう。今考えている1つは性別。創った者と創られた者というある意味での上下関係の前者に男性、後者に女性を当てはめたときに、私はその構図を受け入れられない。被造物たる女性は創造主の支配に屈するべきではないと思わされる。『エクス・マキナ』のエヴァなんかもそう。フランケンシュタインでは、創造主と被造物がどちらも男性なのでそこの抵抗感が薄いのかも。でもやっぱり物語の面から見てもやはり怪物はヴィクトルを愛するしかないんだよな。怪物には彼を受け入れてくれる世界はどこにもなかったんだもん。自分を受け入れない世界との唯一の接点であるヴィクトルにすがるしかない。彼を愛さなければ怪物はほんとうにひとりぼっちになってしまうんだもんな。被造物の外側に世界が広がっていれば創造主の支配を抜け出せと言えるけれど、フランケンの場合はそういうわけにいかないからな。

原作を読んでみて、私の愛するアンリ・デュプレがアンリ・クレルヴァルとジュスティヌの合わさったような人間だというのがわかってよかったです。クレルヴァルの献身とジュスティヌの高潔さ、そこに同じ夢を追いかけるというのが加わる。あーなんでみんな死んでしまうんですかね!!!!デュプレの方はまじでビクターのせいだけれど、クレルヴァルとジュスティヌは怪物が悪くてほんと2人ともなんなの。しんどい。私はジュスティヌとエリザベスの厚い信頼関係に胸を打たれました。それから、語りの中でクレルヴァル呼びしているのにたまに「アンリ」って呼び方がぶれるヴィクトルが好きでした。

📺 石子と羽男-そんなコトで訴えます?- (2022)

身近で新鮮なトラブルを扱っていたのがとても面白かった。かなり勉強になる!弁護士を雇うのにだって費用はかかるしドラマの中のようにうまくいくのかはわからないけれど、自己責任論が跋扈する日本で弱者を救済し得るような法律や制度を扱った作品が放映されることの意味は大きいなと思いました。

🎞 Pinocchio (2022)

私は近年のディズニーの実写化ラッシュには少々幻滅していて、新しい物語を創り出す力が枯渇しているのかなと思ってきたんですが、ピノキオについては「やらなければならなかった」その理由がはっきりとわかりました。ディズニーはアニメーション版のラストを書き換えなければ、今後ピノキオの物語を語ることはできないと考えたのでしょう。
アニメ版のラストでピノキオはブルーフェアリーによって「本物の」男の子になります。木製の人形から人間の男の子になるわけです。でも、ピノキオは本当に人間の男の子になる必要はあったのでしょうか。松の木でできたピノキオは、人間ではないけれど偽物ではない。既に「本物」なんです。実写版ではゼペットがそれをわかったうえでピノキオを抱きしめます。ディズニーにはこの価値観を提示する必用があった。だから実写化に至ったのでしょう。そうすることで今後安心してピノキオの物語をパークで、ゲームで、グッズで語り継いでいけるというわけです。
そんなわけで私は実写化ラッシュには否定的な見方をしているのですが、今作についてはやりたいこと、やらなければいけないことがはっきり見えたので納得です。

作品としては、普通に楽しめるって感じ。プレジャーアイランドのシーンなんかは実写ならではの煌びやかさとおぞましさがあって良かったです。あとは楽曲が追加された分ミュージカルとしての満足度がアップしている!!オープニングロールのバックでジミニーの星に願いをが流れ始めて本編に繋がっていく演出が好きなのでそれがないのは悲しかったが。
ファビアナの追加はいいと思うけれど、どうせ出すならもう少し丁寧に描いて欲しかったかな。彼女のバックグラウンドはわからずじまいで、ピノキオとファビアナが直接的に互いを助け合うというわけでもないので雑に追加されているような印象だった。あと個人的に、CGのフィガロクレオがかわいくないのがしんどい。あとブルーフェアリーの羽が触手みたいなのは何故なんだ!?ピノキオをアニメそのまんまのビジュアルにしたところは良かったと思う!!!ちゃんと可愛かった。

本編の感想というよりは派生の感想。身体と記憶と名前について。魂ってなんなんだろうという話。ミュージカルのフランケンシュタインや神と共にを見ながら考えていた話に関係するなと思ったので備忘録です。実写版ではブルーフェアリーの魔法がゼペットの息子の写真に反射したのちピノキオに当たって物語が動き出す。ではピノキオは彼から何を受け継いだのか。何も受け継がないならばあの描写はいらないはず。

怪物はアンリの身体 (頭部) と記憶の一部?を持っているけれどアンリと呼ばれることを拒否し、アンリとは別の個体であることを主張する。この場合、アンリの魂は死後の世界に行ったのか、怪物の中にあるのか、あるいは怪物の魂と1つの身体に同居するのか。

ヘウォンメクは前世の彼の身体と同じ見た目をしているが記憶を失っている。でも周りも本人も前世の彼と現在の自分を同じ個体と認識している。おそらく前世の彼と使者の彼は1つの魂と捉えられる。

ピノキオはゼペットの息子の身体も記憶も名前も持たない。だとすればピノキオは「魂」を受け取ったのかもしれない。

魂ってなんなんだろうか、何で構成されるんだろうか。名前や身体や記憶以外で、ある個体を識別するための何かと考えていいのだろうか。だとすれば、死んだゼペットの息子は魂だけを除かれるとどうなるのだろうか。

🎞 Pinocchio (1940)

家にDVDがあるけれど見るのは赤ちゃんの時ぶりかも。「星に願いを」でクレジットとアニメーションがつながっていくオープニングが素晴らしいし、キャラクターの細かい表情がどれも愛らしくてディズニーってすごいな~と改めて思いました。古い作品もまた見直したくなる。

見ている間は考えていなかったけれど、親子の関係の方に重きが置かれているとはいえこれもまた創造主と被造物の話なんだな。そして私は嫌悪感を抱かない。コッペリウスのことは苦手なのに。やはり性別の問題なのだろうか。でもゼペットはピノキオをちゃんと外の世界に出すもんな。コッペリウスはコッペリアを家に閉じ込めてるからやっぱり嫌。

📚 新訳 ジキル博士とハイド氏 (田内志文訳)

思いのほかあっさりしていて少々物足りない感じがした。実験の動機とかジキルとハイドのせめぎ合いとかジキルとアタスンたちの関係とかもう少し深堀してくれればいいのにな。題材は多分好みなんだけど。これも創造主と被造物の関係が描かれた作品よね。

そんなわけでミュージカル版ではどんな風にアレンジされているのか楽しみ。そもそもエマもルーシーも原作には出てこなかったのでびっくりしました!!それからジキルが若者ではないこととハイドになると見た目も若くなることにも驚きました。そう考えると石丸さんがちょうどジキルくらいで柿澤さんがちょうどハイドくらいの年齢なのかもしれない?

かたい訳を読むのが苦手なくせにそれぞれの訳の評判をリサーチするのも面倒くさいのでとりあえず新しめの訳のを選んでいたら、フランケンに続きこちらも角川で田内さん訳だった。ちなみに新しく買った1984も角川で田内さんだった笑

📻 軽業師タチアナと大帝の娘 (2022)

私は並木陽先生のだったら「1848」の方が断然好みだったな。15回分になると登場人物が増えて散漫に感じられた。それにしてもやはり禅さんの声の素晴らしいことよ。3週間、耳が幸せでした。みなさん役にあっていて良かったんだけれど、大ちゃんのイラリオンと野々すみ花さんのエリザベータが特に好きでした。

📺 ゴールデンカムイ 第一期 (2018)

📺 ゴールデンカムイ 第三期 (2020)

深夜に再放送してたので母と見てました!どちらも週1で放送があるから、同じ日に3期と1期を見る日とかもあって、あ〜このころは平和だったね〜ってなったり。

ただ、今作については「お話が面白い!」「キャラクターが魅力的!」ということだけを考えればいいものではないので。私自身がまだ今作がアイヌの人々の暮らし、文化、歴史に対してどのような、そしてどれほどの影響をもたらしてしまうのかについて勉強してないは大問題だ。この作品を楽しんでいるんだから、ちゃんと学んで、考えて、自分なりに答えを出さなくてはいけない。現実のアイヌの方が実際には言う習慣がないのにも関わらず観光客の期待に応えるために「チタタプ」と唱えているという旨のツイートを見て、改めて思いました。ブレットトレインを見て、トンチキ日本描写に怒っている人間が、逆の立場になったら知らんぷりってのは間違っているよな。

📺 オールドファッションカップケーキ (2022)

地上波で放送があったので見てみました。前半は台詞の不自然さが気になったり(え?そういう風に会話展開します?みたいな)達成あんまり役合ってない?と思いながらみたんだけれど、後半はそんなこともなくしっかり楽しめました。恋愛を楽しむ心を持ち合わせていない私なりに。

📚 ジョジョの奇妙な冒険 第2部 戦闘潮流 (1987-89)

なんだかんだ良い奴ばっかりでてくる~。ジョースター家の人間はみんな若くして亡くなってしまうのかしら・・・って悲しくなっていたらジョセフ元気にカムバックしてくれたので嬉しかったです。いよいよ次からスタンドだ~!!!!

📚 完訳 ギリシアローマ神話 上 (大久保博訳)

📚 完訳 ギリシアローマ神話 下 (大久保博訳)

映画や舞台を楽しむ上で神話の知識はさらっておきたいなと思っていたのでこの機会に読みました。

私はやっぱりアルテミスとアポロンが好きですね。2人ともかなり残酷ではあるけれど。そうそう、ナルキッソスの見た目について、アポロンやデュオニュソスのような巻き毛、みたいな描写があってるんるんしてしまった~!!美しさを伝えるために挙げられるお二方。

神々の系譜も名前も全然覚えきらなかったけれど、巻末の索引からそれぞれの神や人物のエピソードを振り返ることができえるので今後も重宝しそうな一冊でした。理不尽な話も多いけれど(罪もないニュンペーたちが男に追いかけられた挙句、神に祈って植物にしてもらうみたいな話が多いのはしんどい。。。。)かなり面白かった。

下巻はトロイア戦争がメインになっていてそれも読みごたえがあってよかったです。北欧神話パートではMCUキャストで脳内再生して楽しんだり。ギリシアの神々の最も美しい彫刻として何作品か紹介されていた中に、ルーブル美術館のアルテミス像があって、ちゃんとこの前見てきた自分よくやった~と思いました。面白かったのが写真を見返したらヴェルサイユにある同じ構図のアルテミス像と私のツーショが出てきたこと。アルテミス像といえばあの構図がスタンダードだったのか、はたまたどちらかは模作なのか気になるところ。

同じ人がアーサー王についてもまとめて書いているのでそれも読みたいな。

📺 初恋の悪魔 (2022)

初めて坂元裕二作品をちゃんと見た!思ったよりもラブストーリーに着地したのでもう少しミステリー寄りだったら好みなのになというのがありつつも、細かい会話がとても面白くて毎週楽しみにしていました。悠日と朝陽が子どものころに「バナナについてるシールを100枚集めるとハワイに行ける」と信じていたって話のくだりとか、カラオケ回の次からなんの説明もなく「りんちゃん」「ことりん」呼びになる人たちとかほんとに面白かった。

大豆田とかカルテットとかちゃんと見たいんだよな~って思いながら坂元作品調べたら「東京ラブストーリー」って出てきて笑ってしまった。縁か?縁があるのか?(ちゃんとミュージカルのチケット取りましたよ)

📚 Matilda (1988)

キャスト解禁を受けて期待値が爆上がりしておりまして、その勢いで原作買いました。私は印象派以降の絵画の勉強がしたくて文学部に入り、そしてミュージカルにはまったことをきっかけに今は演劇研究のゼミに入っているのですが、もし今の大学に落ちていたら別の大学の英文学科に入ってダールの勉強をしたいなと思っていました。そんなに作品数自体は読んできていないんだけれども、小さいころから好きで。

チルダは一応遠い昔に読んだ記憶はあるってくらいで内容はほとんど覚えていなかったので、新鮮な気持ちで楽しく読めました。家に一人だったので音読していたんですけど、ダールの英文は読み上げてもとても楽しいですね。結構な声量で音読していたら、お隣さんがベランダで洗濯物を干していることに気が付いてめちゃくちゃ恥ずかしかったです。割と感情込めて呼んでたから笑

解禁されたキャストを思い浮かべながら読んだシーンもたくさんあります。意気揚々とガラクタの中古車を売りつける万里生ミスターワームウッドとかめちゃくちゃ見えました。トランチブルに関しては本当に採用基準が謎の極みすぎで蓋を開けてみないとわからないドキドキ感満載ですね。

📚 イノサン (2013-15)

ビジュアル面の美しさはもちろんのこと、シャルル=アンリが恐れてきたはずの処刑人へと近づいていき、物語の中核はマリーに移り彼女の物語になっていく。その過程が美しくて圧倒されました。。Rougeの方も読み進めるのが楽しみで仕方ないです。

 🌟

私的ヒットチューン

I Can Do Better Than That - The Last 5 Years

なんだかんだ1年中聴いているし1年中歌っている。

Magic To Do - Pippin

最高のオープニングナンバー!一度聴いたら忘れられない!!!

おうちで手の振付真似しながら歌ってる。Ex-Citingのところが楽しい。

Magic to Do

Magic to Do

時が来た - ジキル&ハイド

原作を読み終わったことで、ジキハイ熱が高まりました。この曲はたくさんのミュージカル俳優さんが音源を残してくれているので聴き比べができて楽しい!!

ただ、OBC聴いた感じでは、きっと私の好みはハイド楽曲だと思う!そんなわけで3月が楽しみ!!玲奈希帆~!!

Don't Rain On My Parade - Funny Girl

ファニガ自体についてはお話も楽曲も全く知らなかったのだけれど、エヴァちゃんがライブで歌った動画がYouTubeに出てきて、それがとんでもない迫力とパワーですっかりこの曲が好きになってしまいました。